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鮭に託す自分探し、あるいは自己批判 西尾雅
同タイトル「トキシラズ」を「黎明篇」「望郷篇」に分け、会場をウルトラマーケット、精華小劇場(8/25-28の予定)と移動しての連作公演。タイトルは手塚治虫「火の鳥」からインスパイア、連続出演を希望する登場人物を観客公募するアンケートから推して、次作は構想あれどまったく別の話として黎明篇終演後に書かれる模様。

ウルトラマーケットも2年目、ウルトラ春の乱と題した4劇団連続公演の取りを務める。客席に朱色の椅子が揃い、当初違和感のあった広い空間が劇場として息づき始めているのがよくわかる。この日は大阪城ホールのコンサートと重なりホール外の大阪城公園にも音が漏れていたが、ウルトラマーケット内は驚くほど静か。かつての近鉄小劇場で上の近鉄劇場の音響が響くのと段違い。難をいえば受付周辺で公園に巣くう薮蚊が多いことか。

明瞭な発声が高い天井に負けないこと、美術・音響・照明など緊密なスタッフワーク、濃いキャラの客演男優にも負けない劇団に歴史の厚みを感じる。劇団員の変遷や新たな客演もあれど、変わらない演出に劇団の本領が光る。2人の役者で演じ分ける1人の人物や想像力かき立てる時空切替、難解なのにワクワクするスタイルは不変。豪快で繊細、キュートな役者と多重複雑な世界観、謎をはらみ疾走する物語に感覚をゆだねる。読み解くのではなく、演劇本来のダイナミズムに身をまかす醍醐味。なんたってアグリー(ダックリングの略。以下同)は今も、いつまでも「全力少年」なのだから。

高さの異なる脚立が転がり、林立する。小さな扉が取り付けられた脚立はひとりひとりの住む部屋でも、彼らがバックパッキングするリュックでも、彼らの終の棲家の墓か棺桶でもある。人の一生もまた旅。生まれ故郷の川を遡上し産卵し朽ち果てる鮭の生態に人をなぞらえる。故郷の匂いを嗅ぎ分ける力をなくした現代の人間は生き方や死に場所を見つけられるか。自分探しが一貫したアグリーのテーマでもある。

網タイツプレイがウリの風俗店。男をからめとる特製の網を織る特技を持つサエない女は、店に迷い込んでぼったくられかけた青年にひと目惚れ。いっぽう別の青年がわが家に帰るや、部屋の中には不法侵入者たち。青年の困惑を尻目に、侵入者はヤドカリのように脚立の中にひきこもる。また別次元で中年男の引っ張る箱車に乗って旅を続ける少女がいる。死臭に敏感過ぎる中年男を師匠と仰ぐ彼女は、師匠のために死臭を消す香料を調香しようとしている。

進行する3つの不連続なシチュエーション。が、しだいに師匠は少女の父、網織り女の娘とわかってくる。残されし汚れたマフラーは、かつて母が愛を編みこみプレゼントした恋人=父から娘に譲られしもの。こめた想いに生きた人の証が匂う。が、男の愛はいつか暴力に変わり、抵抗する女は真紅に変身する、婚姻色をまとう鮮やかな鮭のように。その紅色は出産の喜びか、それとも裏切りへの怒りか。産卵後に待つのは間違いなく彼女の死、死臭と腐敗が早くも漂う。

産卵のため体表を朱に染める鮭に夜明けの紅が重なる。それは戦火の炎にも似ている。青年の知らぬ間に部屋の中は戦場と化している。脚立を塹壕かトーチカに見立て戦うゲリラ兵の中で青年の混乱は深まる。故郷に帰る時を忘れた季節はずれの鮭をトキシラズと呼ぶ。時を「知らず」故郷に「入らず」旅する孤高を、自分の居場所を「知らず」「イラク」戦争に無関心な世相になぞらえて告発する。無知と無関心が、自分が暴力に巻き込まれる可能性を見失わせる。人はいつか死ぬ、誰もが自分の棺桶を背負って生きている。

少女と師匠の2人旅は、核戦争後を描いた北村想「寿歌」で大八車を引く旅芸人を連想させる。あるいは中世の説経節の小栗判官と照手姫の熊野詣でを。絶望的なこの世界で、わずかに残された希望と再生を信じる少女。死臭のない世界、暴力のない世界は彼岸にしかありえないと知りつつ。

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