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ホラーでしか語れない現実の日本 |
西尾雅 |
長塚作品に毎回登場する暴力と流血。内臓露出した動物の死体もおなじみ。が、笑えるシーンもたびたび。恐怖と笑いの同居は、恐怖が臨界点に達したスプラッタホラーでしばしば襲われる現象だが、長塚の場合は少し異なる。加害者への過剰な恐怖が笑いに昇華されるのではなく、矛盾への怒りが暴力を誘発し、残虐が笑いに転換する。恐怖の対象と自分を俯瞰してそれは生まれる。そうするしかない無力さを見つめる冷静な視点がそこにある。今回テーマは愛憎入り混じる家族への思い。母から生まれぬ子はなく、誰もが家族の一員に違いはない。が、微妙な立場に置かれるのが父親。わが子への思いは母親より低いが、とりわけ血を分けた息子へは可愛さと嫉妬ない交ぜの複雑な感情を抱く。本作は血の濃さゆえに引き裂かれた家族劇だが、観客である私たちも家族の呪縛からは逃がれようがない。東京郊外の地方都市。核再処理施設が建つこの町に、2流のテレビ番組制作会社の駆け出しディレクター琢哉(北村)と元子役アイドル美弥子(永作)の新婚夫婦が住む。真面目な彼が追いたいのは核再処理施設問題だが力量なく、捨てられた動物を救い、飼育を買って出る慈善男のドキュメンタリーを取り上げる。その初仕事をカメラマン(中山)はいい話には裏があると睨むが、純粋な琢哉にはその助言が呑み込めない。お人良し夫の新婚家庭は人気下降気味の妻がセミヌード出演してかろうじて家計支えるが、彼はそれにも不満を抱く。夫の留守中、新妻だけの新居に押しかけた不審な中年男(風間)。あやしむ彼女に男は長く別居していた夫の父を名乗る。帰宅した琢哉に確かめて事実とわかるが、父の態度は豹変し、妊娠を喜ぶ息子の嫁に暴力を加える。手向かう息子にも容赦せず気絶させて閉じ込める。理不尽を理解できない新妻に「息子の誕生で結婚生活が破綻したので息子が憎い」と告白する。ねじれた憎悪を清算するため、復讐に現れた父。問題は、長年に渡る嫌悪に気づかない息子の鈍感にある。それは、核再処理施設という危険に目をつぶる私たちに似ている。父親が息子や嫁を軟禁する一家に何も知らず動物愛護男・渡部(古田)とカメラマンが訪れる。美弥子ファンの渡部が、インタビュー撮影の条件に彼女の面会を望んだため。義父の命令は彼女の嫌いなタイプである渡部を好きになれというもの。夫を救うため脅迫を悟られず男に媚びるフリを(義父のために)する妻の情けなさ。直接新妻を陵辱するのではなく、第三者を介しセクハラする屈折した心理。息子を苦しめるには本人に直接暴力を振るうのではなく、愛する者を傷つけるのが一番と知ってのこと。ねじれた嗜虐性が観客を震撼させる。渡部の狙いは飼育ではなく食用が目的とわかる。愛玩犬の生肉を血まみれですする以上の衝撃は、食べることが愛と強弁する男の屈折した論理にある。けれど、愛の食欲への転化は、愛が憎悪に転化するほどの異常ではないのかもしれない。美弥子はレイプされ、文字通り食べられる寸前を救われる。助かったのもつかの間、執念の義父に再び襲われる。繰り返される絶体絶命の最期を、お腹の子(市川)が救う。水子で流れるはずの胎児が出現し、祖父に当たる中年男を説得する。物語はファンタジーで結末を迎える。太目性格俳優の市川が赤ん坊以前の胎児を演じること自体こっけいだが、奇怪な設定が逆に胸を打つ。「生まれる前に死ぬことがもう決まっている」胎児の真っ当な言辞がカタルシスを生む。子と親の関係は一筋縄では行かない。ときに憎悪も呼ぶ。が、妊娠を喜ぶ新婚2人に誰しもが共感し、水子の悲しみを共有する。つくづく長塚は、語ることを飽きない物語作家に違いない。ファンタジーが救いとなりホラーや暴力、シュールなゆがみが許せてしまう。思えばギリシア悲劇や日本の記紀など古典にも整合性はないが、紡がれる物語に胸ときめく。メディアやオイディプスは流血の家族の悲劇そのもの。八俣のオロチを退治するスサノオも乱暴の限りを尽くす。物語は残酷だからやさしい。どちらも人間の持つ本質には違いないのだから。義父の暴力で流された水子の無念、わが子に救われた新妻。家族の物語がピリオドを迎えた時、圧倒的な悲劇が彼らを襲う。核再処理施設の爆発で劇は幕を閉じる。私たちが目前の出来事に気を奪われている隙に、悪意は自己増殖してもはや手の届かない地点まで来ている。長塚ホラーは、恐怖を物語ることすらできない世界を描いて、現実に警鐘を鳴らす。
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