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宝塚流オペラの到達点 |
西尾雅 |
オペラ「アイーダ」をミュージカル化した「王家に捧ぐ歌」(星組)で03年の芸術祭優秀賞を受賞した木村信二が、今回はヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」を翻案。オペラのミュージカル化は既に01年「ばらの騎士」を「愛のソナタ」(月組)として上演済みだが、ちょっとしたお手合わせの域。オペラに伍した本格的日本語ミュージカルの挑戦は「王家に捧ぐ歌」から。台詞のほとんどを音譜にのせコロス使いするオペラ仕様は古事記を元にした「スサノオ」(04年、雪組)を経て3作目。注目すべきは、戦争や復讐、拉致など現代的なテーマを毎回織り込んでいること。宝塚ならではのスペクタクルなエンタメと重いテーマはときに違和感を生みがち、日本人の原点を問いかける「スサノオ」は消化不良を起こしてもいた。が、今回は原作のオペラに各シーンは忠実ながら大胆な解釈をほどこし、宗教と差別に一石を投じる問題作に仕上がる。イラク戦争を仕掛け、今も占領を続けるアメリカへ演出家はノーを突きつける。それは「愛のソナタ」発表前、海外留学していたアメリカへの苦情、見事な恩返しでもある。3作ともにコンビを組み、全曲を作曲した甲斐正人の音楽が耳に残る。圧倒的な和央(マンリーコ)の歌唱力がメインテーマを際だたせる。愛とは恋人への無私の心、たとえ自分が死んだ後も恋人レオノーラは生きている、それを支えに死地に赴く決意に客席は静まり、次の瞬間拍手が沸く。幅広い舞台を同時進行で使い、別空間の横手では当のレオノーラもまったく同じ思いを抱き、わが身を犠牲にマンリーコを救おうと企む。彼が逃亡できたら身を投げ出すと恋敵のルーナ伯爵に掛け合い、本心は操を守る気で遅効性の毒をあおる。マンリーコが助けたいと願うレオノーラは既に死の秒読みに入っている。思いやる恋人同士のズレが哀しみを生む。それは、仮死状態の恋人が死んだと錯覚し、後を追うロミオとジュリエットの悲劇と同じ。あまりにも深く相手を思いやるばかりに不幸な混乱は引き起こされる。愛だけではない、むろん憎しみも悲劇を増幅する。そもそも発端は先代領主がわが子の病気をジプシーの呪いと錯覚したこと。ジプシーを元凶と信じ込んでその老婆を火炙りに処した直後、その娘アズチューナ(一樹千尋)にわが子をさらわれ、焚き火跡で骨が見つかる。幼い次男を失った領主夫妻は失意で亡くなり、長男が後を継ぐ。時は流れ、成長した新領主ルーナ伯爵(初風緑)は吟遊詩人マンリーコ(和央ようか)を恋する女官レオノーラ(花總まり)に横恋慕する。マンリーコを伯爵の部下に殺されたと思い込んで修道院入りしたレオノーラをマンリーコの仲間が救い出す。彼が無事と知って喜ぶレオノーラ。ジプシーの出自を気にしない彼女は彼と結ばれる。が、凶報が届く。アズチューナが伯爵に捕まって弟君の敵とバレ、マンリーコがその息子であることも悟られる。復讐はブーメランのように自分の身に返る。伯爵とアズチューナ一族の火炙りの応酬の果て、マンリーコも悲惨な歴史を繰り返し炎に包まれる。が、その時アズチューナはかつて焼死したのは取り違えたわが子の方、マンリーコこそさらった領主の息子、つまり伯爵の弟に他ならないと告白する。母の恨みを晴らさんとのアズチューナの野望は不幸にもわが子に降りかかり、伯爵はわが弟を手にかける。復讐は相手ではなく、自身を傷つけてしまう。敵である領主の子を育てた母の本心は何だったのか。マンリーコの死の際、復讐を遂げたと絶叫するアズチューナは身代わりの義子に、母親として接しながら同時に憎しみを育ててもいたのか。実際、母親誰しもがわが子に無償の愛を注ぐわけではない。本当の子に対しても、ときに家庭内暴力は起こる。当然とされる母の愛も不条理の内にある。人を救うはずの宗教もまた矛盾を免れない。キリスト教徒の伯爵や修道院長は異教徒のジプシーを人間扱いしない。マンリーコの友パリア(大和悠河)はすべての人に救いを唱えたジーザスの言を引用し、キリスト教徒に抗議する。ひとりの求道者の願いも巨大な宗教団体と化すや自己保身と他の排除弾圧に走る。アメリカがイラクで行っている現実がまさにそう。占領される側にとって迷惑な価値観の一方的な押し付けかもしれない、とは強権を振るう側は考えもしない。他者の存在を認めること。存在に敬意を払うこと。他者を思いやる愛すらも不幸に終わるなら、憎しみが憎しみの増幅を生む悲惨な現実は変えようがないのかもしれない。私たちにできるのは、せめて違う価値観があると気づくこと。気づこうと注意を払うことくらいしかない。重いテーマを含んだ本作はエンタメとコラボする新たな宝塚の転換点と将来位置づけられよう。新感線「SHIROH」が商業演劇で深いテーマを打ち出し、メルクマールとなったように。思えば新感線も「スサノオ」初演(94年)で斬新な歴史観によるエンタメ路線を踏み出す。同タイトルの作品に宝塚と新感線がお互い影響を与えていることがうかがえる。日本のエンタメ演劇を背負う2大劇団が切磋琢磨する今後に目が離せない。
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