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パフォーマー
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公演日
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苦悩と癒し、生と死の狭間でせめぎ合う人生 |
西尾雅 |
前作「廃屋のビオトープ」もそうだがエコロジーと癒しをそのままキーワードに据えたタイトルで、流星倶楽部は地球に住む人類の存在意義を問う。世代交代進まず見捨てられ、寂れた団地棟をミツバチの巣になぞらえ、卵を産む女王バチでもなくミツを集めるメス(働きバチはすべてメス=働くだけで卵を産まない)でもないオスバチの死を通し、生きるつらさと喜びを訴える。環境破壊を省みない人の驕りに疑問を投げかけ、競争から退かざるを得なかった弱者へのやさしさを訴える。自殺という重いテーマを掲げながら、観劇後に半歩前進したような達成感を持てるのは作り手の真摯さのおかげ。解決は永遠の課題、それに向き合う誠実こそが唯一の救いと心得ているかのよう。団地入居以来、家族ぐるみで付き合いしてきた八重(小栗一紅)と好江(後藤小寿江)が三角関係でつかみ合い。夫婦喧嘩絶えない八重夫婦だが、まさか夫(菊谷高広)を親友の好江に寝取られるとは。が、夫は本気で、すぐにも好江宅に転がりこむ勢い。親の動揺をよそに、同じ年頃の両家の息子2人は相変わらず仲良し、冷静に親を分析し悩みを打ち明けあう。好江は先夫を亡くし、その保険金で家のローンを払い終えるが、その後は苦労して子供を育てる。自分も交通事故に遭い、慰謝料と加害者の保護を家計の足しにしたことも。竜児(中川祐一)はその時に出来た兄姉とは父親違いの次男。竜児はベランダから落ちた兄の死が今も目に焼きつく。事実無根の放火を疑われ失職した兄は当時四面楚歌、限りなく自殺に近い転落死を遂げるが、母は今も事故と言い張る。竜児の姉風子(平田美雪)は多情な母を嫌って別居中。実は兄の死前夜、悩む兄が寝床に侵入、それを払いのけたことが自殺の原因と自責、リストカットするほどの苦悩にある。その風子の良き話し相手が、同じように自殺した家族を持つ高木(立石浩太郎)。父を知らない竜児は、父と思い込んだ男宅に殺した鳩を投げ込むストーカー行為で警察に保護される。好江はそんな息子や娘が歯がゆくて、わが子に腹立ちをぶつける。苦労した子育ての結果が、自分の思い通りになるとは限らない。子離れの寂しさを親友の亭主の胸に埋める。八重も夫を好江に取られた悔しさをにじませる。息子が両親の関係を依存と見抜くように、夫と居れば喧嘩が絶えないのは承知する。けれど夫を奪われたむなしさは、これもまた埋めようがない。問題を抱えた2つの家族はかつて夢を抱いて入居した団地の疲弊を象徴する。とりわけ飛び降り自殺した長男の事件は、好江一家に影を落とす。家族は身内の死にどう向き合い、その後をどう生きるか迷う。いつだって残された者に現実は重くのしかかる。新たな夢なしでは、人は次の一歩を踏み出すことも困難なのだ。離婚して団地を離れることになった八重は元気を装う。インスタントコーヒーのブランドにこだわる夫が、好江宅では安物でガマンするのにほだされる。思い余った八重が差し入れたいつものコーヒーに元妻の気遣いを察し、夫は改めて過ぎ去った日々を懐かしみ、それがもう戻らぬことに涙する。過去はもう帰らない、すべては自分の選択が原因だったのだから。風子が兄の死の前夜を初めて語る。ただ肌の温もりが欲しかっただけかもしれない兄を拒んだことが彼女を縛る。許すことが出来なかった自分を許せない。釈放された竜児も兄の死に際を証言する、満足した安らかな死に顔だったと。女王蜂と交尾出来るミツバチのオスはわずか、交尾後はすぐに死ぬだけ。けれど、ほとんどのオスは交尾することもなく生れ落ち、ただ死ぬのみ。生まれたことにただ満足して死んで行く多くのオスたち。ミツバチの巣とこの団地は何と似通っていることか。誰もが自分の生きる意味を問う。父親を知らない竜児にとってアイデンティティーの確立と自分探しは切実。兄の死を目撃したことも大きく影響する。物語の始めで八重の息子・剛士(大竹野春生)に不安を打ち明け、慰められていた竜児は、兄の死をようやく肯定し語れるようになる。家族との葛藤を経て彼もまたひとまわり大きく成長したようだ。冒頭、人形(ひとがた)をした一枚の紙が頭上から降る。兄の投死を象徴するそれは、ラストで無数の人形の紙に増え、舞台上に舞い降る。苦悩の果てにも死は安らぎをもたらす、生き抜いた証として。それら無数の人々の死の上に、今を生きる私たちがある。やがて私たちも死を迎え、人形の一枚となって舞う。それまでの長い時をどう過ごすか、それが永遠の課題なのだ。
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