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音速漂流歌劇団 松岡永子
 精華演劇祭Vol.2のひとつ。歌やダンス、スタッフワークのレベルの高さはあいかわらず。ただ、テイストはいつもと違う。新星爆発のように拡散していく感じ、細部、枝葉末節が肥大していって全体のバランスを崩すほどになる、というのがいつものデス電所のイメージだ。だが、今回は収斂していく。それは、扉を開けたとたん別の世界が広がるシーンの作り方や、くり返され前後する時間の構成の仕方などに、あきらかに認められる「少年王者舘」手法の取り入れのせいなのだろうか。以前から輪廻という言葉を使っているように、デス電所はもともとそういう手法に親和性があるとは思うし、みごとに消化していたと思うのだが。
 物語としては、非常に現代的な、ふたつの子どもの死の話が再構成されている。世間の非難が集中する事故を起こしてしまった遊園地社長がつらい目を見せたくないと息子を扼殺する話と、いたずらされて死にそのまま廃棄冷蔵庫に詰め込まれた少女の話。「現代の歪み」に傷つけられ殺された子どもたちの話。
 同じ台詞、微妙に異同のあるシーンが、溝の傷ついたレコードの音楽のようにくり返される。
 速度をあおってジェットコースターに事故を起こさせたマスコミが世間の代表として遊園地社長をたたくとか、少女が保護者に虐待されていたとか、いかにも現代的な背景が描かれる。オタクの描写なはど秀逸。昔は賑やかだったのに、と懐かしまれる遊園地・動物園、楽しい記憶を懐かしむ明るい廃墟は、いかにも現代の風景だろう。
 そして、そのルーティンから飛び出すラストシーン。今はその手を放さなくてはならなくても遙かな時間の彼方にもう一度、というラストシーンは涙が出るほど感動的で美しい。でも、そんなふうに希望を未来に投げてしまうのであれば、現代の描写は点描にすぎないということだろうか。
 どこにでもある単に結末を未来に投げてしまう無責任な芝居とは確かに違う。その場に立ち会う男は、「お父さんは自分の足で歩いてきたから遅くなってしまった」と子どもたちに告げる。傷つけられた子どもでいつづけようとする者は多いが、父親・大人であることを引き受ける覚悟を持つ者は少ない。ただわたしが見たいのは、自分の足で歩いたその道中なのだ。くり返されることがそれなのだということかもしれない。でも、それではなんだか違う気がするのだ。

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