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越境する性、越境する演劇 西尾雅
役者2人が抜け5人となった新生テクイジが客演なし、劇団員のみで2時間強の舞台を疾走し、濃密な空気で包み込む。クリスマス満室のホテル側のミスでダブルブッキングされた赤の他人が部屋で鉢合わせ。最初は互いに不快感を抱く男2人だが、かつての出会いの記憶が突然蘇る。場面は瞬間、現代の日本からチベットを思わす標高の秘境アイオン、その100年前に飛ぶ。幾度も時空切換されるシーン往還で過去と現在の物語が重ねられ、因縁の糸は解かれるが、現代の時制はクリスマスひと夜の出来事。輪廻転生の不思議、人の命の再生と再会の縁を、制約のある舞台という空間、生身の肉体の再現で試みる。

企画・制作が劇団ではなく「ka;du」製作委員会と映画のようにプロジェクトが組まれていることに注目。美術、音響、衣裳などを専門スタッフにまかすというスタンスではなく、テクイジの表現に賛同する者がチームで作品創りをするとの強い意思表示がそこにある。その延長に作・演出の中井由梨子の劇団からの独立と座付き作家の位置づけがある。作品をテクイジ×中井のコラボと謳うのは、共同作業でなければできない演劇において、そこに関わるキャスト・スタッフ個人個人の独立・自由とアンサンブルの協調・重奏をどう両立するか並々ならぬ決意を込めてのことだろう。

結果、新生テクイジの出発にふさわしく、出演わずか5人と思えぬ中身の濃い舞台に仕上がる。ラストで振り落とされて布製とわかった柱や方形の寺院回壇などの美術、異国感あふれる密教風の音楽、現代感覚と伝統的なエスニック風がマッチした手染め薄物衣裳などの助けは大きいものの、主役は衣装早替えもいとわず出ずっぱりの役者たち。母性愛の包容力と台詞の口跡にキレがある前渕、背の高さにダンスが映える中村、コミカルな演技が冴えるリーダー山根にも注目だが、テクイジの真価は松村、清水2人の中性的な魅力にこそある。

現代の男2人を演じるのが彼女らだが、細身の青年2人の屈託ないやり取りはジャニーズ系あるいは宝塚男役とまごうばかり。一転、アイオンを旅する日本人カズマを演じる清水は、偉大な先代マー・ラの再来を予言するセオリ(中村)の元で当地のスリ少年ミーファ(山根)と候補を競う途中、謎の囚人リューシュ(松村)と出会う。カズマ、リューシュとも現代青年と違うキャラが要求されるが、2人はその切替に成功している。

かつてアイオンが敵に攻められ、人々が寺院内に逃げ込んで食料が尽きた際、リューシュは仲間の人肉を食べ生き延びたという。その罪とある秘密ゆえ彼は仮面を被せられ疎まれ、幽閉されている。実はリューシュはマー・ラの落し種、顔もそっくりゆえアイオンの暫定的な指導者セオリは彼を遠ざけている。リューシュは飢えから人肉を食したのではなく、みずから肉体を捧げて魂の永遠を願うアイオンの人々の希望にただ応えたのだ。つまり、リューシュの中に人々はまだ生きている。少なくとも犠牲となった人々はそれを願い信じて死んだはず。

カズマがその真実を知ったのは偶然か必然かまたもや敵にアイオンが襲われし時。カズマとミーファの後継者選びは、いったんミーファがマー・ラの再来と決したが、リューシュはマー・ラの再生を宣言して敵を欺き、身代わりとなってアイオンを救う。

謎を秘め屈折したリューシュは寡黙な辛抱役。いっぽう、巻き込まれ謎解きする狂言回しをカズマは担う。テクイジが立体少女漫画と評される所以はファンタジックなストーリ展開よりも絵から抜け出たような彼女らの肢体にある。細身でたたずむ姿は淡々として見えるが、ダンスの動きは鋭い。ときに寡黙でときに饒舌。男役でありながら男の危険な匂いは希薄、宝塚のように娘役の引き立てを必要としない自立した男。必然的に女性性をも内包する中性的な魅力、つまりトータルな人間味にあふれている。

女性だけの劇団といえば関西にもかつて猫のお尻や芝居屋坂道ストアがあり、そこで恋愛は女と男をお互い照射し合うという重要な役割を担っていた。が、テクイジの興味は、もはやたんなる恋愛にはない。男女の恋愛を超えた神と人との会話、あるいは時間の流れの中の人の運命といった哲学が本作でも取り上げられている。現代では恋愛は男女間のそれとは限らないし、神と人の交流もそれと等価の問題として扱われる。テクイジは女性劇団というワクを超え、やすやすと性を越境している。

劇団というくくりすらも彼女らには既に当てはまらない。将来は映像表現を見据えながらも今は舞台表現の可能性を探るべくトータルプロデュースに挑戦しているのだから。彼女たちを特徴づけるのはダンス。ラスト、アイオンから時を経た現代の日本で、カズマとリューシュはごく普通の青年となって出会い、ひとりは体調を崩しひとりは彼をひと夜看取ることとなる。時は巡り、運命は聖夜に再会を果たさせる。転生輪廻を抽象表現して踊るエピローグ。中性的な彼女らのダンスはH・アール・カオスを強く想起させる。カオスもセカンドレイプやクローン生命など社会的かつ哲学的な素材をダンス表現に高めたが、演劇に軸足を置きつつも幅広い表現活動を展開するテクイジの今後に目が離せない。

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