ロシアの文豪トルストイの原作をミュージカル化したブロードウェイ版(92年初演)が日本で上演。一路真輝がコンサート「DIVA 2001」でゲストの井上芳雄と歌い上げた劇中の数曲が予想以上に好評で本公演にこぎつける。00年「エリザベート」ルドルフ役で衝撃のデビューを果たした井上と一路の相性良さは演出・小池修一郎ならずとも認めるところ。宝塚雪組「エリザベート」ではトート役、東宝版ではタイトルロールのエリザベート役と対照的な2役の主演を務めた一路と付き合いの長い小池が今回は修辞・訳詞にとどまり、演出は自転車キンクリートの鈴木裕美にまかせる。宝塚が初めてブロードウェイのワイルドホーンに全曲作曲を依頼した「NEVER SAY GOODBYE」(作・演出:小池)を控える(3/24初日)小池はその準備のため鈴木が起用されたと推測するが、ミュージカルに不慣れだろう鈴木の演出が思わぬ効果を上げる。上流階級の人妻アンナ(一路)と青年士官ヴロンスキー(井上)、今日本で屈指の歌唱力を持つ2人が不倫を純愛に高める。2人がシリアスなテーマを背負い、もう1組のカップル・キティ(新谷真弓)とレイヴィン(葛山信吾)がコミカルに息抜きする。ヴロンスキーに失恋したキティとキティに振り向かれないレイヴィンは最初すれ違うが、結局ハッピーエンド。不倫を乗り越え結ばれたアンナとヴロンスキーの愛は悲劇を遂げる。ミュージカルの醍醐味である歌唱と小劇場らしい等身大カップルの今どき会話がうまく対比する。シリアスとコメディ、ミュージカルとストレートプレーが噛み合い、切替られる。人生は多様、悩み笑い怒り失望喜びは交互に浮き沈みする。瞬間を切り出せばどのカップルも幸せもしくは不幸せどちらか。チェーホフの特徴ともいえるシリアスと喜劇の融合がトルストイに既に見られる。それは厳しいソ連時代を小話で乗り切ったロシアの伝統かもしれない。アンナの不幸は先夫に引き取られた息子にこだわり続けたこと、ヴロンスキーとの間にできた幼い娘に愛情を持てないままに。先夫との愛のない結婚生活では息子を溺愛することが唯一彼女の生きがい。不倫の烙印はヴロンスキーとの新生活で彼女に蟄居をしいる。社交界から締め出された孤独な彼女に息子への思いがたぎる。息子との面会すら先夫に拒否され、狂気に陥った彼女は死を選ぶ。先夫はふしだらな母は息子に悪い影響を与えると信じ、母親の死を告げる。彼なりにわが子の将来を案じ、生きている元妻を死んだと偽る。妻に去られた先夫ニコライ(山路和弘)もまた傷つき深い孤独を背負っている。そもそもアンナとヴロンスキーが車中で出会ったのは、アンナが兄(小市慢太郎)の浮気を兄嫁にとりなす旅に出たため。軽い浮気は深刻な夫婦問題に発展せず、それまで貞淑を貫いたアンナは恋に落ちて深みにハマる。浮気封じが不倫を招く皮肉。遊びが救われ、真剣な恋は逆に不幸を呼ぶ2組の差がここでも対比されている。段差のある四角い平面が盆回し(美術:松井るみ)。上下の高低差はロシアの階級社会や気分の浮き沈みを象徴。横位置で止まって両端に2人が立つと、高低は感情の断層に見える。運命に翻弄される人生がルーレットの回転盤のよう。車中で生まれた恋は、アンナの列車飛び込み自殺で終わる。流転はすれども、人生というレールに後戻りはない。アンナの死後、娘をニコライに預けてヴロンスキーは軍役に戻る。恋敵とアンナの間にできた子を育てるのがニコライにはうれしい。アンナを亡くして素直な自分を得る。年長で保守的ゆえ愛を表現できなかった彼もまた不幸。アンナの死を乗り越えて、残された人は生きる。悲劇で終わらない彼らのたくましさがロシアの大地を思わす。