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ライブに賭ける舞台人魂 西尾雅
主宰の松村武と映像でも活躍中の看板役者・八嶋智人が奈良県出身の同級生であることは有名。ツアーでは、やまと郡山城ホール公演を組み込み、故郷に錦を飾る。早稲田大学在学中に旗揚げした劇団には東京出身者も多いが、お互いをよく知る松村と八嶋の容赦ないアドリブ突っ込みは、他の劇団員の追随を許さない。吉本新喜劇と漫才で育つ関西人のルーツが垣間見える。劇団初期には夢の遊眠社の影響があったとされるが、東京スタイルのスマートさの影に関西の泥臭さが見え隠れする。地方出身者ならではの反骨精神や松村の好きな南米の民族文化がそこに色濃く反映されている。

スマートさと泥臭さのミックスは言葉遊びにもにじむ。タイトル「フロシキ」は荒野で温泉(風呂)を掘り当てる開拓(フロンティア)のロマンを大風呂敷広げるホラ話に喩える。春(藤田記子)は零細旅館の若女将だったが、旅館を番頭(松村)に乗っ取られたことで弟(山崎樹範)と使用人・エドゥー(矢沢誠)と共に、湯治客・大場(八嶋)の勧めに従い新天地を目指す。やがて温泉が掘り当てられ、現地先住民が武力制圧され、念願の高級旅館が完成する。地平線を見渡しながら入浴する当初の夢は、けれど湯気に消える。

満州開拓を温泉掘削に書き換え、ロマンが崩壊するプロセスをおとぎ話に仕立てる。歴史の検証が狙いではなく、物語の展開に興の重点はある。思惑のぶつかり、渦巻き具合、混乱と高揚がエンタメに味付けされる。見どころは八嶋と松村のアドリブ合戦。瞬時に切り結ぶ言葉は、相手を刻むまさに真剣。切り返す瞬発力以上に、ごくまれに返せず立ち尽くす一瞬に感動する。ライブでそこまで自分を追いつめる舞台人魂への共感とでも言おうか。壮絶な掛け合いに観客も笑うことすら忘れて絶句する。

春の娘・あき(佐藤恭子)が語り部を務め、春の一生を語る劇構造。彼女は父を探し、わずかな手荷物を抱え大陸を放浪するが、風呂敷をかつぐ姿は母娘そっくり。ロードムービーのように展開される母の数奇な運命と、父を探す娘の旅は重奏し、娘は最後に父(吉田晋一)との邂逅を果たす。戦後、帰国して成功した両親はあきが生まれて後に離縁し、父は隠遁していたのだ。母娘は旅を重ねた末に夫/父である共通の男にめぐり合う。あきが父と出会うシーンは、春が最初に大場と出会うシーンに重なる。母娘がかつぐ風呂敷には、実は荷物は何も包まれていない。人生そのものが旅であることが一枚の布に象徴される。

劇のもうひとつの仕掛けは、使用人エドゥーの存在。チョンマゲ姿の彼は江戸をもじった名を名乗り、中途半端な侍言葉を使って、武士道や日本精神へのあこがれを隠さない。彼のこっけいさに過去から学ばず、あこがれの眼差しを向ける現代への皮肉がこめられる。満州開拓や温泉掘削という当初のロマンは変節し、夢は堕ちて行く。エンタメに批評を忍ばせ、アドリブの笑いで苦さを包む。アドリブを放つライブこそが舞台人の生きている証とでも言うかのように。

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