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ナツノトビラ 松岡永子
 屋内での維新派本公演はめずらしい(新国立劇場公演は未見)。
 屋内であることの制約、そして屋内でしかできないことはなんだろうと考えてみる。背景全部を借景にするときのような奥行きを持てないことが何よりの制約、その一方で屋内だから映えるのは背景にくっきり落ちる影の濃さ、だろうか。
 今回の舞台にはほとんど色が使われていない。『流星』のときも舞台のほとんどが灰色でその分ラストに現れる赤が印象的だったが、今回は最後まで白色系統で統一されている。光と影のモノクローム・デジャ・ヴ、というサブタイトル通り。ある意味禁欲的な舞台。

 少女の物語だからか、以前の維新派に比べると全体の声のトーンがいくらか高い印象。やや線は細いが、繊細に洗練され美しい。

 どこかビルの一室。薄暗い部屋の中でザッピングする少女。TVをつけたままうたたね。
 夢から覚め(あるいは夢の中で)、扉を開けると日盛りの街。夏の午後。光にあふれ、セミの声にあふれている。人もあふれせわしなく動きまわっている。街には事故や事件、危険もいっぱい。ビル群に切り取られた縦長の空。
 少女は麦わら帽子をかぶり花束を持って出かける。弟の墓参り。長方形のビル群が墓石に見えてくる。少女は街で弟の姿を見つける。
 街には鉄道事故や通り魔殺人のイメージ。

 扉を開けると日盛りの街。というシーンは少しづつ変奏しながらくりかえされる。
 新しいできごとが次々と起こるのではなく、限定されたモチーフの微妙な変化で見せる。その点でも洗練された禁欲的な舞台。

 日暮れ。南港での公演で背景を全て取っ払ったときのような、高さではなく横に広がる風景が現れる。少女の帽子が風に飛ばされる。
 月蝕。モノトーンの舞台の中でこの月だけが赤みがかった強い色。

 弟を見失い、薄暗い部屋で目覚めた少女に宅配便が届く。箱を開けるとなくしたはずの麦わら帽子。帽子を抱きしめ、かぶり直し、扉を開ける。扉を開けると光に溢れた街。

 夏の街のシーンはくりかえされるが、時間は少しづつ経っているようだ。セミの声にもいつの間にかカナカナが混じり、夏の終わりへと向かっていく。

 この物語は覚めかけの夢にも似ている。そのせいか途中で、実は死んでいるのは少女の方なのではないかとも思った。自分が死んだことに気づかず、現実と夢の曖昧なあわいをふらふらとさまよっている…
 でも、やはり死んだのは弟なのだろう。死んだことで弟はくっきりとした存在になった。生きていたときから年下とはいえ少女をかばうような(車や暴漢から守る、というのはイメージだろうが)けなげで騎士的な少年だったようだが、死んでなおさらはっきりと、光の街へ少女をいざなう。

 カーテンコールで「路地の蒸気機関車」の一曲が演奏(?)された。
 洗練の度合いの高い本編に対して、猥雑なエネルギーに溢れたおなじみのレパートリー。個人的にはある程度洗練されている方が好みだが、確かにこのエネルギーが維新派なのかもしれないなあとも思う。ただある知人が、せっかくせつなさの余韻に浸ってるんだからその気分のままで帰りたかった、と言ったのも事実だ。

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