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怪シイ来客簿 松岡永子
 私小説というのは奇妙なジャンルである。自分の家族や生活を暴露的に描く。といっても、それは客観的事実とはまったく別の、作家というフィルターを通して見た風景だ。見せているのは作家の誇張された内面世界なのだろう。
「怪シイ来客簿」は色川武大の私小説をモチーフにした舞台。同名の小説集よりも、家族をモチーフにした小説群から多く材を取る。

 若い頃の不摂生のためか、睡眠障害その他の病気を抱えている作家。年老いた父と母の面倒は弟夫婦が同居してみている。呆け始めた父が暴れたという真夜中の電話で、仕事道具をかかえて実家を訪れる。
 退役将校の父は家庭では専制君主だった。稼ぐことを軽蔑し、敗戦後も母の商売が生活を支えていることを決して認めようとしなかった。長男である作家は、浮浪児にまじって焼け跡を徘徊し博打を打っていた。弟は堅実に生きてサラリーマンになり、今両親の面倒を見ている。

 現代風ドラマと違って、兄弟間で親の世話を押しつけ合ったり責任をなすりつけ合ったりはしない。むしろ互いに卑下し、自分が悪かったのだという。少年の頃、作家は家を飛び出し無頼のまねをしていた。そんな自分のせいで、弟は自由に生きられなかったのかもしれない。
 作家は家族を、特に父親を愛しているし尊敬(むしろ憧憬か)している。そしてそれを自覚してもいる。決して働こうとしなかった父は偉い、と作家はいう。それは逆説ではない。
 空襲が激しくなった頃、父は家の下に巨大な穴を掘った。防空壕というには大きすぎる、無為な作業だ。そのときの獣の目をした父を見て、かなわない、と思った。そして父親の面倒は自分がみるのだと決めていた。
 弟は、敗戦後の焼け跡をさまよってたまに帰ってくる兄を、身体を休めに巣に戻ってくる獣のようだと思っていたという。そしていつか兄が破滅したときには自分が面倒をみるつもりでいた。
 息子は父のようには生きられなかったし、弟は兄のようには生きられなかった。ただ目を見張ってみつめていた。生きられなかった自分を生きてくれた分身を、弱って動けなくなったときには守り背負うつもりでいた。
 だが自分の病気や生活の都合で父の世話をすることはできず、流行作家となった兄は弟の保護を必要としない。

 劇中、作家は何度も「家に帰りたいなあ」と口にする。帰りたいのは父母がいて弟がいたあの頃の家だという。それはほんとうだろうか。
 作家は、離婚話の出た妻と新しい男の関係を心配したりする。世間知らずで奔放な妻に対して保護者の立場を取りたがる。だが、父に対するような執着をみせない。妻との関係は作家にとって「家」ではないのだ。
 もちろん、彼のほんとうの「家」はどの時代のどの場所にもありはしないだろう。

 しだいに愛おしい存在に見えてくるモリタフトシの父親が秀逸。
 悪夢を代表する振り袖姿の長い髪の女は美しく、不可解に怖い。奇妙な理屈を展開する妻といい、作家にとって女とは、おそろしくわけのわからないものなのかもしれない。

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