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パフォーマー
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会場
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公演日
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スペアー |
松岡永子 |
劇場中央に白砂の山。その周囲に廃棄物っぽいガラクタが配置され、そこが主な舞台。それを囲む三方に客席。客席の頭上に足場状にイントレが組まれ、そこも舞台。残った一方のスクリーン、モニター画面に映像が映る。 舞台美術はワイアーのサカイヒロト。彼らしい廃墟感漂う美しい舞台。 この舞台は観客も装置として取り込んでいる。 閉じこもってゲームばかりしている、ひとりが好きなんだ、と言われた主人公の男は「見られるのは好きだ」と言う。そう、まさにこんな風に。ぐるりと彼を取り囲んでいる観客は、彼の言葉や動きに関心を持っているがよけいな干渉はしない。話しかけないし踏み込んでこない(小劇場の観客はお行儀がいいのでそんなことはしないのだ)。 それが彼の距離の取り方である。すべての人から等距離に離れているのが彼の世界だ。観客は彼の世界を離れて外から覗いているわけではない。離れた位置、という彼の世界の中にいる。 マンションに独り住まいの男。そこに転がり込んできた友人の男と女。それぞれ知り合いらしいがそれほど親しい感じでもない。男はふたりに必要以上の関心を払わない。他人が部屋に居すわることに苦情もなければ喜びもない。 男は部屋の中でゲームに夢中だが引きこもりではない。金持ちの息子で優秀でもあるらしい。会社に勤め、「上手に」適応している。 開演すぐ、登場人物は「この人ってこういう人なんですよ〜」と観客に向かってお互いのことを語る。それは独白ではない。たとえば関係の冷えた夫婦が飼い犬を挟んで、「ねえポチ、あの人ったらこんなこと言うのよ」「だってそうだろ、なあポチ」という会話を交わすのに似ているかもしれない。お互いに向きあうことを避け、コミュニケーションはワンクッション置いておこなわれる。 すべての人に観客に対してとるような距離のとり方をする。 登場人物の間で会話がないわけではない。励ますこともする。親しげに冗談も言い合う。その冗談は表面をなぞるだけで内に踏み込むことはしない。相手が子どもの頃の仲間はずれやなくした友達のことを感情的に話し始めると、すっと無表情に醒めて退く。 他人の感情の揺れに近づくことも自分の感情が揺れることも極度に恐れているようだ。 友人がビデオカメラを廻しながらエキセントリックに登場。煙草を吸う女を写しながら、煙草を吸っている女は淫らな妄想をしているのだと自説を語る。至近距離でカメラを廻しても女は気づく風もない。これは女が淫らな妄想をしてるという友人の妄想か。 何が現実で何が妄想か。誰が実在で誰が妄想の人物か。混然としたまま舞台は進む。存在は不確かだ。「観客」の反応によってわずかに自分の存在確認ができて、ほっとするのかもしれない。 早朝の砂場で人差し指を見つけた、と女が言う。天を指すように砂山の上に立っていて、これを引っ張ったらすぽーんと、人間全部がついてくるんじゃないかと思った。でもついてこなかった。指だけだった。 女と二人でボーリングに行った話。優秀な男はボーリングでもストライクしか出せない。そんな自分に不快になる。女はガーターの連続。ストライク、ガーター、ストライク、ガーター…。1と0の繰り返しに感情が暴走した男は店員とつかみ合いになり、レーンに転げ込む。誤作動を起こした装置は機械音で「スペアー」を告げる。1と0の間。はじめての割り切れないもの。高々と手を挙げた男は泣いていたようだ、と女は言う。 友人が冷蔵庫からゴミ袋を引っ張り出してくる。中から赤い内蔵のようなもの。ホラー映画なら、男が実は殺人鬼で、隠してあった死体を見つけてしまった、というシーン。そこに男が会社から帰ってきて着替え始める。手には包帯。人差し指が欠けているようだ。「これ? 痛くないよ、全然」と言う。友人はしどろもどろに言い訳をし、逃げ出す。男は追いかけ扼殺した、ようだ。女が部屋に入ってくる。「あいつ寝ちゃってるんだ」と話しかけるが無反応。無視しているというよりは聞こえていないし、見えていない。彼女の世界に男はいないようだ。男の世界が危うくなる。焦って饒舌になる。女が砂山を作り始める。空間の秩序も乱れはじめる。「あれ、俺の部屋に砂場なんてあったかな、ま、いいや」と一層饒舌になる。死んでいた友人が「お疲れさまでした」と挨拶して退場する。男は痛みを感じ始める。女が砂山の頂上に人差し指を立てる。指はロケットのように昇っていく。男は激痛に転げ回る。女は無言で退場。ひとり残った男は「スペアー」の声に高々と手を挙げる。 舞台美術と作品が共鳴する。繊細さがプツプツと途切れるアンビエントな音もぴたりとはまっていた。空間全体がみごとに融合した舞台。
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