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伊丹能 松岡永子
 第九回になる今年の伊丹能は雪がテーマ。
 仕舞『氷室』『葛城』の後、狂言『木六駄』と新作能『雪女』。

『木六駄』
 薪と炭を積んだ十二匹の牛を牽いて使いに行くことになった太郎冠者。大雪に難渋しながらやっと峠の茶屋にたどり着いた太郎冠者は、余りの寒さに先方への贈り物である酒を飲んでしまう。薪を茶屋の主人にやってしまった太郎冠者は、炭を積んだ六匹の牛だけを連れていく。木六駄と炭六駄を贈ると手紙に書いてあるという相手に「わたし最近、木六駄と改名しました。木六駄が炭六駄を持っていくという意味です」といいわけをする。

 人手がないということで、大雪の中、一人で十二匹の牛を追っていくことになった太郎冠者の所作が見どころ。もちろん舞台に牛の作り物などは登場しない。
 遅れる牛を追い立て 、崖から落ちそうになる牛を引き戻し、牛の足を持ち上げ脱げてしまった靴を履き直させてやる。昔は牛や馬が荷物を運ぶとき靴を履かせたというが、なるほどこんなふうにしたのか、と思う。
 律儀な太郎冠者が酔っぱらって気が大きくなってしまうようすも楽しい。もちろん最後には嘘がばれて逃げ出すのだが。

『雪女』
 小劇場演劇がほとんど新作なのと違って、能の新作を見る機会は少ない(意外と多くの新作が作られているらしいが、見る公演数自体が少ないので)。『雪女』は昭和六十年に作られた作品。

 比良山の麓で雪に迷った旅人に、里の女が自分の家で休むように勧める。家には子どもはいないのにおもちゃがある。不思議に思った旅人が尋ねると女は昔話をする。
 昔、樵とその妻、子どもが住んでいた。樵が亡くなり、母子は毎日墓参りをしていた。ある吹雪の日、墓参りの帰り道で凍死しそうになった子どもを母親がかばう。通りがかった人が雪を取り除けると母親の姿はなく、ただ雪にその跡が残っていたという。
 実はわたしがその母親で、雪女なのです、と告げて女は姿を消す。
 旅人がわらべうたを口ずさんでいると、真っ白な衣装を着た雪女が現れ、わらべうたを歌い、舞い、空に溶けるように消える。

 雪がすべての汚れを清めてくれる、という美しい舞台。
 中入でシテ(里女)は舞台袖に引っ込むのではなく、舞台奥にある塚の作り物の蔭で衣装を替え、雪女の姿になる。塚の覆いが取られ雪女が姿を現したとき、客席からため息が聞こえた。清らかに美しい姿。
 舞いの中で、広げた扇を赤ん坊のように抱きかかえる所作があり、深い慈愛を感じさせる。
 わたしは舞い手のその美しさだけで十分だと思う。
 だが能楽堂と違って、ホール公演では照明の変化があり、ラストシーンでは雪が降る。少し説明過多な気がするが、このくらいの演出があった方がわかりやすいのだろうか。

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