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月夜にようこそ 松岡永子
 コンビニ、と書かれた扉の内側。小さなテーブルと椅子。レジカウンター。奥に商品が並んでいるらしい。
 ドアベルが鳴って男がひとり入ってくる。

 日本最北にあるコンビニ、を自称する店の中はロシア風の香りがする。しかも少し時代遅れの。壁にはタトゥーのポスター(彼女たちは今でもロシアではアイドルなのだろうか?)や酒の名らしいロシア語の貼り紙。店員の女は刺繍のある民族衣装風の服を着てネッカチーフで髪を覆っている。

 男はいくつかの商品をレジへ持ってくる。女が精算を始める。コンビニらしい無機質な客と店員の応対。
「ホットドック始めました」という貼り紙に目をとめた男が「じゃあ、ホットドックお願いします」というと、女は奥に「ホットドックはいります」と声を掛ける。そして、エプロンをきりりと締め、包丁とまな板を取り出し素晴らしいスピードでキャベツをきざみはじめる(この店には彼女ひとりしかいないのだ)。
 クロスを掛け花を飾り、整えられたテーブルにホットドックとコーヒーが並べられる。女の見事な手際を呆然と眺めていた男はうながされて席に着く。
「おいしい! 自分のために誰かが料理してくれるなんて久しぶりです。…でもこういうところのホットドックは、レンジでチン、がふつうでしょう?」という男に、女は「そんなの美味しくないでしょう?」とあたりまえのように不思議そうに答える。
 そうこの場所は、女の言葉のように、実にあたりまえで不思議な場所なのだ。

 男は毎夜店にやってくる。
 出張でこの町に来たが、都会と違って遅くまで開いている店はほとんどない。そんな中でこの店の明かりを見たときほっとしたのだという。
 この店はいつも開いている。店員がいないときでも扉の鍵は開いている。「閉めてしまったらお客さんが困るでしょう?」という女には不用心という考えもないようだ。

 女の人はいつのまにかいなくなってしまうことがある、と男はいう。通勤電車に乗り合わせるいつもの人がある日を境に乗ってこなくなることがある。男にはそんなことはないのに、という。
 女の人は結婚や出産で人生が変わることが多いからではないか、と女は答えるが、ある日人生が変わる可能性は別に男女で差はないだろう。はかなさは女性に対する幻想だ。
 だが、確かにこの女にはそんな雰囲気がある。目を離すと、ふと消えてしまうのではないかと思わせる。

 ある夜、男はロシアンティを二杯注文し、一緒に飲みましょうと女を誘う。
 男は身の上話をする。
 仕事で家を空けている間に大きな地震があった。一緒に暮らしていた恋人は行方不明のままだ。死んだことは確認していない、ただ、いなくなってしまった。
 女も話をする。
 ある国で、王家に女の子しか生まれなかった。そのため妃である母は周囲からのプレッシャーで病気になった。だが、従兄弟に男の子が生まれて王位継承問題は一挙に解決、王女は必要なくなった、というどこかで聞いたようなお話。王女は自由を求めて城を出、追っ手を逃れて北へ向かったのだという。
 そしてふたりはシベリア鉄道で大陸を横断する夢の風景を楽しく語り合う。
 女の話が事実かどうかということはたいして重要ではない。それは、「コンビニ」という看板は体裁のためで、ほんとうは品揃えの極端にかたよった個人商店だという事実がたいして問題でないのと同じことだ。夢想しながら、列車の旅では変化のない食事に飽きてしまうという男に「今日は肉じゃがを作りすぎてしまいました。よろしかったら召し上がりませんか」と女がいい、「シベリア鉄道で肉じゃがが食べられるなんてステキだ」と男が答える。そんなさりげない不思議な日常感の方がずっと大切なのだ。
 シベリア鉄道でヨーロッパに入り、映画『ローマの休日』のように過ごすことを夢みる。アイスクリームを食べたりスクーターに乗ったり…
「けれど日が暮れたら王女は戻らねばならない」とつぶやく女は夢は覚めるものだとあきらめているようだ。
「戻らないこともできるんだ」という男は、夢を見続けることを考えている。仕事を辞めこの町に住むことを考えはじめている。

 ある夜、店に来ると女がいない。追っ手に連れ戻されたのではと不安になった男は港へ向かい、呼ぼうとして、自分が女の名も知らないことに気づく。
 失意のまま店に戻ってきた男は椅子に座り込む。傍らに立つ女も目に入らない。
 女は、あなたのために明かりを、という。舞台が暗くなり、何カ所にも置かれた明かりがほのかに灯る。

 この明かりが素晴らしい。灯るまでそこにあることにまったく気づかなかった。終演後近くで見たら、石膏を塗った目の粗い布(だと思う)で四方を覆った小さな白い箱で、照明装置だとはまったくわからない。思いがけず、遠くで灯る窓の明かりのようなやさしい光が浮かびでる仕掛けだ。意外性と、控えめな光がこの舞台にふさわしい。

 大きな事件が起こるわけではない。あたりまえにさりげなく、でも現実にはありえない、不思議に居心地のいい場所が描かれる。
 満月から満月までの話として設定されているが、わたしには新月の晩の感じがする。たよりない星の光だけの空の下、遠くにぽつんと見える窓の明かり。それを見つめながら寒い夜道を歩いていく、そんなイメージだ。
 上着も火の気もなしで山の頂上で過ごすことになった男が、遙か向こうの山で自分のために焚かれている火を見て自分を励ましながら一夜を過ごす。あの話はロシアの昔話だったと思う。

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