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蝕卓讃歌 松岡永子
 間もなく開演である旨を舞台監督が告げると、待ち合わせしている友達がまだ来ないから開演を延ばしてくれと客の女が主張をはじめる。押し問答の末、「だってもうすぐ舞台は始まってしまうんでしょう」と言う女に舞台監督は「もう始まってますよ」と答える。

 ドーンセンター(大阪府立女性総合センター)での公演というと「青い鳥」などしか思い浮かばない。「女性芸術劇場」に男性が主宰している劇団も参加できるのだとはじめて知った。
 この芝居が女性の問題を扱っていると見るのはひとつの見識だ。ただ、これまで「満月動物園」の公演を見たことのない人がこの芝居を単独で見てわかるかどうかは、疑問だと思う。

「娘が少年院を退院する、朝。その朝から、すべては問いとなった。…中略… 母と娘の物語」
というチラシの文章を見て、前作『カデンツァ』の続き(というか完結編)なのかと思った。父への放火殺人で入院していた娘が、幻想の父を手放し母に出会おうとする話。母という他者に出会うところから「物語」は始まるはずだが、前作はその前で終わっていた。その続きかと思ったのだ。
 だが娘と母が向きあうシーンは少ない。作者の興味はすでに他のところに移っているようだ。

 母は美顔器のセールスをしている。娘は自助グループに通っている。グループの仲間にはいろんな女性がいる。被虐待児だった人。自己の同一性を守るため、共依存でそっくりになった相手を殺してしまった者。リーダーを白血病で亡くした元正義の味方。どれもこれまでの「満月動物園」の芝居で見たことのある断片なのだが、この舞台だけを見た人には断片すぎてわからないかもしれない。
 退院前面会に行った母は、扉の向こうにいる娘に会うことを怖れながら扉を開けた。これからも毎日怖れながら開けるのだろうと思いながら、扉を開ける。
 娘は、人間はすべて絶海の孤島なのだと思う。それぞれが海に囲まれ、ばらばらの存在。そんな孤独の認識は珍しいものではない(他人と混ざり合うのを当然と思っている方が精神衛生としては問題だろう)。そしてその認識は深まることも覆ることも示されない。

 娘と仕事から帰ってきた母が買ってきた弁当を夕食に食べる。
「おいしいね」「そやろ。京阪百貨店で買ってきたからな」
 コンビニ弁当ではなく百貨店で買った(たぶんタイムサービスだ)弁当を食べるというささやかな贅沢を楽しむ。団欒を演じるふたりはどこかぎこちない。そんなやりとりを毎日繰り返しているのだろう。その努力は少しも間違っていない。母娘であっても、他人との関係はささやかな日常の積み重ねで変化は微かなものだ。十分に作品のテーマになる。ただし身振りの大きなタイプの芝居は、それを描くのには向かない。
 ラストで娘は障子を隔てた母に向かって、「ありがとう」と墨で字を書く。
 意識してのことかどうかは知らないが、障子に筆で鏡文字というのは葛の葉子別れの場の趣向だ。べったりくっついていることが親しいということではない。むしろ心を通わせることができるようになれば、別々の島のように別れてあることを受け容れられるようになる。それが母娘関係の答えだというなら、前作での問いは完結したといえるだろう。
 だが、この舞台の中心はそこにあるようには見えない。

 舞台の途中、物語を中断するような形で母親役の役者が出てきて照明装置をバトンに吊す。自分を照らすのは自分しかいない、自分でスポットライトを用意するのだ、と言う。映像とコラボレートするこのシーンはスタイリッシュで、視覚的に一番見ごたえがある。
 物語からは切り離されているこの部分が、実は芝居の中心なのではないだろうか。
 冒頭の女が待ち合わせた友達というのは母親だ。高校卒業以来、久しぶりに会う友達とその娘を見ていて「他人の舞台には上がれない。わたしはわたしの舞台に立つしかない」と言い、舞台を去る。彼女の事情は語られないがそれが結論なのだろう。劇中出てくる正義の味方は「照明マン」といって、他人の人生を明るく照らすことを使命にしてきたが、仲間の死で迷いを生じた。
 ○○さんの娘、○○さんの妻、○○さんの母。そんなふうに誰かに所属し、脇役として誰かを支えるために生きるのではなく、自分の名前で主役として生きよう。そんな、懐かしさすら感じる啓蒙の言葉と通じる問題意識かもしれない。

「自己の延長ではない他者と出会うこと」という前作から持ち越した問題に答えようとして、「自分自身の舞台で生きること」という現在興味のある問題を描けなかったように見える。
 興味とテーマとストーリーが一致せず、しぼれていないから物語が拡散してしまった。サイドストーリーが多いこともまとまらない印象の一因だろう。
 だが一方、この舞台は「満月動物園」の集大成なのでは、という気もする。これまでのモチーフを総ざらえしたために盛り込みすぎの印象を与えているようにも思える。それならば、やはりこの作品を単独で見て評価することは難しい。次へのステップとして通らなければならない道、やらなければならない舞台だったのだ。
 興味があること、描きたいことに描こうとすることが追いつければ、もっとバランスの取れた舞台になるかもしれない。

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