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進化する日本発のシェイクスピア |
西尾雅 |
能舞台で演じられるマクベスの斬新さに打たれた前回公演(06年2月)は既報どおり。革新的なアイディアと伝統の技が融合した日本発の画期的なシェイクスピアに圧倒されっぱなし。好評だったのだろう今年早くも再々演(前回の再演が大阪初お目見え、03年の初演は新潟・東京のみ)。キャストはほぼ同じで、わずか1年後の大阪再演にもかかわらず演出は一新。本舞台や橋掛リの周囲に設けられた照明はハズされ、もともと能舞台の天井に仕込まれた明かりだけを使用(唯一の例外は橋掛リの揚幕奥にある。後述)。台詞が鳴り物に消されないよう最小限の集音マイクとPAが目立たないよう使用されるが、能舞台本来の照明と反響が忠実に生かされる。最も変更された点は魔女6人の役割とそれに伴う音楽。人は運命に操られるカラクリ人形というのが前回の大きなテーマだったが、マクベスを手玉に取る魔女も大魔女ヘカテから見ればひよっ子。魔女もまたヒエラルキーから逃れられないのは人と同様らしい。魔女6人の童女姿の人形振りが印象的だった前回だが、今回は得意のダンス(魔女役3人は「血の起源」=05年5月で安寿ミラ、館形比呂一、西島千博らとコンテンポラリーダンスを共演)を封印して全編で太鼓や鉦など楽器を担当する。原作どおり3人だった初演の魔女が、前回の再演からは倍の6人に増えてボリュームアップ。姉妹を含む同じ背丈で似た顔の少女におかっぱのカツラを被せ6人が正方形の本舞台にシンメトリーに並ぶ前回の童女は愛くるしさいっぱい。が、魔女本来の凄みを顕わす変身ぶりに戦慄を覚えた。今回6人体制は維持したままカラクリ人形の振付から一転、心臓の鼓動に似た強弱のリズムで人の心を操る。6人(横山道子、田島真弓、横山愛、塚野夢美、住田彩、塚野星美)は橋掛リ上に縦列で座り、太鼓や鉦を奏す。シーンに応じて前3人が本舞台に進み、伝令や使者、バンクォーとマクダフ夫人の暗殺者を演じ、後のひとりがマクダフの息子に扮する。前回はまだ人を操る(大魔女に操られながら)魔女のイメージが濃厚だったが、今回はアンサンブルの役目が多い。前回の岡本おさみ・作詞、宮川彬良・音楽に代わって生演奏で音響効果を担当する(音楽監督・荒井和真)。舞台上で奏される和楽器はライブ性と和物感が前回よりも強調される。通常の能舞台と異なる使用法にあらためて驚かされる。後見が出入りする切戸(右奥のかがまねば出入りできぬ通用口)をキャストも使う。客席から見えない舞台右奥がダンカン王の眠る部屋やマクベス夫人の寝所と見なされているのだ。老松の描かれた鏡板を背景とする本舞台は、国王に成り上がったマクベスの祝宴の間にとても似合うが、宴席に出現したバンクォーの亡霊(マクベスだけに見えている)は正面の階段を降りて、客席通路を抜け非常口に消える。通常の能舞台の約束を無視した一連の動きは異形の者を強く印象づける。前回同様変わらないのは、大魔女ヘカテ(藤間紫)が物語を開け、そして閉じる構図。マエストロあるいは司祭のような彼女のひと振りが人の世を動かし、人の心の弱さを揺らす。自分の欲望に翻弄され、破滅するマクベスの最後は前回にも増して美しい。討ち滅ぼされ死んだマクベス(市川右近)が本舞台から立ち上がり、橋掛リを戻る、魔女たちが奏する音を脇に従えながら。揚幕を出て夫を迎えるのは先に逝ったマクベス夫人(市川笑也)。揚幕奥からのピンスポットが西方浄土の光のように2人を照らす。その光を浴びる魔女たちは、死者を導くまるで菩薩だ。大念仏寺(大阪市平野区)に大阪市の無形文化財となっている万部お練り(菩薩来迎万部法要)という行事がある。菩薩の面と装束をまとった何人もの僧が本堂の回廊を練り歩くその行は、菩薩が来世で人を救うことをかつて人々が求めていた証だ。この日の能舞台にはたしかに来世が出現した。善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。人生はたかが影法師、哀れな役者、出番が終わればそれきり。有名なマクベスの台詞は、人生のはかなさを衝いてあまりある。計画後半に齟齬が生じたにせよマクベスとマクベス夫人は悪事を共にした戦友同士。権力と引き換えに安眠を失った2人は、生を代償にして死後ようやくやすらかな眠りを取り戻したのだ。
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