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手作りの長編大作 西尾雅
ピースピットハーフイヤーシアターは、文字どおりオーディションで集まったメンバーが半年のワークショップでひとつの作品を創る試み。第1回「ニャンプー」に続く本2回目は全上演時間が8時間を超える大作。全5巻を1+2巻、3+4巻、5巻の3回に分けてそれぞれ2回上演し、昼夜3日間かけて旗揚げにして解散公演を果たす。半年の稽古が本番2回で終わるせつなさは、本作のテーマである物語がいずれ終わる宿命の哀しさに通じている。

プロデュース公演は数々あれど、無名のキャストをオーディション選抜し旗揚げのみで解散するとは実に潔い。もっとも前回のHYTから続演する者も数名いる。が、その数名を除けぱ初顔合せの制作1名、客演2名(近藤ヒデシ=COMPLETE爆弾、金谷二義=劇創ト社)に主宰の末満(作演出)を加えた計38名の大世帯が初めてとは思えぬまとまりを見せる。

物語の本編はヒロイックファンタジー、ブック国の男女5つ子の王位継承者争いが双子の魔女や恋人らを巻き込む剣と魔法の冒険譚。5卵生兄妹の第1王子ランスロッツと第2王子リーズフェルトの争いを軸に、第3王子レンマーツォが魔女と結託して漁夫の利をねらい、末っ子王女ルーナが後に反乱軍を率いる。

が、本作の趣旨は本編を描くことにはない。壮大なファンタジーの隙間にこぼれ落ちた名もない人々に光を当てることが目的なのだ。それを本作は行間の物語と名づけている。本編では名前も上がらない脇役や物語の行間にひそむサイドストーリーの豊穣がそこでは語られる。

無名の登場人物と客演以外フルオーディション選抜された役者陣が重なる。主役だけで舞台は作れない、舞台を支えるアンサンブルの誇りが市井の人々の物語に反映されている。

たとえば、ランスロッツを慕う従者イフリータの誠実さ、主役に躍り出ようとするノーマンの報われない野心、2人の王子に愛されるヒロイン・サフィアの困惑、喧嘩しながらも実は仲がいいアルとニアの2人、瘴気病の村を救うワルツ神父に好意を抱く看護師ミミの不幸、泥棒稼業に精出す貴族出3人組の前向きさ、図書館にこもるストーリー少年の孤独。

役者ひとりひとりにアテたさまざまなキャラクターの群舞が壮大な物語を構成する。全員が本役以外にアンサンブルをこなして、まったくの素舞台をたちまち町や森、砂漠や宮廷、図書館や霊界などの背景に仕立てる。使われる小道具は剣以外にはブックとペンだけというのも(一部の巻でLEDライト=後述と赤い毛玉=魔法の炎が用いられる)剣と魔法の物語にふさわしいが、他におびただしい数の文字パネルが使用されている。複数の黒衣がパネルを並べて登場人物や場所を特定する。

ブックは作家ベンが記した小説という設定だが、その架空世界にブック=本が持ち込まれる。ブックに書かれた物語が自分たちの住む世界だと気づいた住人は、さらに驚くべき事実、ルールに基づいてブックにそのペンで書き込みをすればそれが新たな現実となることを知る。

人手に渡る度、ブックは次々と書き換えられ、さまざまな矛盾や使われない伏線(の結晶がLEDライト)が発生し、やがて物語そのものがほころび始める。ついにはブックの世界を飛び出し、私たちの住む現実世界をめざす登場人物までが現われる。

あくまでベンの書いた物語を守ろうとする者と書き換え、改ざんを図る者の争いが熾烈になる。ただし、書き込むには既存の物語との整合が必要で、もし整合しなければ逆に書き込んだ本人に災いがもたらされる。願い叶わずブックに弾き飛ばされる文字たち、そして消えてしまう書き込んだ者が残酷なまでに美しい。

自分が架空世界ブックの登場人物に過ぎないと気づき(劇中では覚醒と名づけられている)、それをそのまま潔く受け入れ、あるいは書き換えようと抵抗する人たち。決められた物語そのままの住人は台本に疑問を持たない役者やあらかじめ既定されたコースを歩む人生と同じ。運命を自分の手で変える勇気がここでは試されている。つまり、自分の人生をどう物語るか、これは私たちひとりひとりに突きつけられた問題といえる。

それにしても、スエケンの芝居は、なぜいつもこれほど上演時間が長いのか(今回の中篇5本の連作合わせて8時間超もすごいが、過去に1本で4時間の記録もある)。それは物語が終わる寂しさを最も知っているからに他ならない。物語が永遠に続いたならという願いに彼は取り憑かれている。

いつか終わりが来る、物語でも芝居でもカンパニーでも人生でもそれは同じ。集団を立ち上げてもあえてハーフイヤー(半年限り)と名乗ることで退路を断ち切る。終わって欲しくない物語を結末に導くためのそれは背水の陣なのだ。命には限りがあり、物語に結末はある。終わることの哀しさへ手向けたこれはオマージュの物語といえる。

壊れかけた物語を救うために前作の主人公ニャンプーが招聘され、猫の騎士と名をあらためる。ブック本編に当然登場していない猫は、物語の規制を受けずに行動できる。まさに行間のスーパー登場人物の猫が物語のキャスティングボートを握る荒唐無稽も物語本来の楽しさだろう。

世界は実は理路整然としてはおらず、偶然に支配されることが多いのかもしれない。ドラゴンクエストなどの電子ゲームやスタジオジブリのアニメに影響された物語は、デジタルな感覚よりアナログ臭さの方が目立つ。肉体で見せるしかない演劇は手作りを逃れられない。ワープロで書かれた(であろう)物語が、黒衣の操る文字パネルを通せば昔ながらの鉛の活字で印刷された古書に見えてくる。

大勢の出演者はそれだけですごいを実感させる。30人以上の手になる文字パネルの渦や舞台ところ狭しと剣を交える戦闘シーンの迫力は圧巻。なにせ大作なので台詞を噛む役者が続出、中には台詞を忘れて立ち往生する場面もあったが、共演者の素早いツッコミとフォローに救われる。わずか半年と思えぬ息ぴったりにかえって好感が増す。

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