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語り芝居 宮沢賢治 松岡永子
 第2劇場で顔なじみだった川島むーの一人プロジェクト、お茶祭り企画。いわゆる演劇以外に詩の朗読などもやる(今年も「詩のボクシング」に参加するらしい)彼女が、ジャンルにこだわらずさまざまなことに取り組みたいと立ち上げたものだ。
 「語り芝居」としては一昨年秋に同じ場所で、やはり宮沢賢治の公演をおこなっている。

 第一部は『雨ニモマケズ』で幕開け。
 それをパロディにした現代詩(そういうオジサンにわたしはなりたい、といった内容)も紹介した後、今回は十代、二十代、三十代と賢治を年代順に追っていく。

 凝った照明や装置はなく、シンプルに作品世界を見せる。要所要所にピアノ演奏が入る。

 川島むーは、子どもの頃はあまり宮沢賢治を好きではなかった、という。
 わたしも中学生の頃は賢治になじめなかった。賢治の「童話」世界は、言葉の意味をたどって歩いていくと入りこめるといったタイプの世界ではない。ある一点でジャンプすることが必要だ。散文として書かれていても、ある意味「詩」なのだ。だから、ジャンプする必要があると知らない者、無意識のうちにジャンプする資質のない者にとっては賢治は取っ付きにくい。
 川島は声に出して読むようになってから賢治に惹かれたという。身体で感じるリズムが面白いらしい。

 十代の賢治では若書きの短歌を読む。
 短歌や俳句の朗読は難しい。現代語として読むようにはできていないからだ。言葉は意味が至上ではないし、一方、七五調に身をまかせると全体が情緒に流れてしまう。
 川島は短歌を二度読む。一度目は話の流れに沿って一行詩のように。二度目は音の流れに沿って。それが最良のやり方かどうかはわからないが、一つの方法ではあるだろう。

 その後、賢治の経歴を語りながら、教師時代、農業指導者になってからのそれぞれの短文、詩を朗読する。
 賢治の生活は父親との確執で語られることが多いが、川島は、彼は家族に愛されていただろうという。理想に燃えて家を出たときも、体をこわして戻ったときも、家族は賢治を大切に思っていて、そのことが彼にはかえって負担だったのではないかという。

 第二部は一昨年と同じ『セロ弾きのゴーシュ』の一人語り。第二部では本を持たない。「水を飲む」部分のコップと水以外は小道具なし。ケレン味なく、ゴーシュ、猫、郭公、仔狸などを一人で演じる。過剰なキャラクターづくりはなく自然に語る。彼女の演技のタイプからいっておとなしく仕上がるわけではないが、前回よりも落ち着きと深みが増した気がする。
 そしてなんといってもピアノがいい。
 ピアノ演奏がなければ芝居が成り立たないくらい重要なのだが、聞いていくうちに鳴っていることをいつの間にか忘れる。そんな自然なピアノだ。
 さまざまな努力や工夫が詰め込まれ、けれどそれを際立たせて見せたりしない。ちょっと大人、かもしれない。

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