log osaka web magazine index
WHAT'S CCC
PROFILE
HOW TO
INFORMATION
公演タイトル
パフォーマー
会場
スタッフ・キャスト情報
キーワード検索

条件追加
and or
全文検索
公演日



検索条件をリセット
常に現在であること 平加屋吉右ヱ門
サラブレットの祖先を溯ると、全て3頭の牡馬の系統に辿り着くという。別役作品は現代日本の演劇のルーツの一つである。高校や大学で演劇を志す人達のバイブルとなっている別役氏の作品を、旗揚げし十年たった劇団が、どのように現代の自分たちの舞台として作り上げるのかに興味があった。

老夫婦が二人だけで夜のお茶の時間の準備をしている。まるで三時のお茶を始めるかのようにテーブルを二人でセットする。夜のお茶の時間が欠かせないという夫婦は、胡椒やお塩と一緒に小さな動物の置物を等間隔に大事そうに並べていく。妻が並べたものを夫は僅かに間隔を変えて並べなおす。そこへ上手上方から大きく弧を描き、舞台の奥を過ぎ下手の手前から中央へと続くスロープを下って「市役所で聞いて来た」という少女がゆっくりと現れる。
10時や3時のお茶には温かい家庭の空気が漂うが、夜が更けたこの時間の、たった二人の老夫婦の向こうには、重苦しい暗い時間しか感じられない。
何かに押し出されるように二人の前に現れた少女は、自分がこの夫婦の子供であることを少しずつ明かす。夫婦は自分の娘は事故で死んだと答えるが、次第に自分の子供であると思い始める。
当日配られたチラシには、この作品は1960年代に書かれ、戦争責任や、中国残留孤児の問題がテーマとして描かれているということが書かれている。この時代に既に中国残留孤児の問題が社会問題として取り上げられていたのだ。最近、中国残留孤児と日本政府の間で裁判の和解が成立し、決着がついた形になったとの報道がされていた。戦後が一つ歴史になった感がある。しかし今回は別役氏の「マッチ売りの少女」という舞台の中に、親と子の心の間にある深い溝や家庭内暴力というテーマを再提起している。親から受けた暴力、後から現れる弟との関係が、直接目の前で行われる惨劇とは別の意味を持って、舞台下手の上方に作られた窓越しに苦しみの表現としてシルエットで演じられる。

前回の公演では装置や小道具、衣装など舞台全体が白一色で作り上げられていた。有機物としての肉体は全て削ぎ落とされ、抽象的な人間の精神だけが動いているような芝居だった。今回の舞台装置は、一転、柿渋のような色に錆びたトタン板をパッチワークのように使い、舞台一杯に大きくカーブするスロープが、モダンな現代家具のよう。床は落葉が一杯混ざった茶色い腐葉土が一面に敷かれ、鼻を突くかび臭い匂いが、開演を待つ観客にこの舞台の闇の部分を暗示する。中央のクロスを掛けたテーブルと椅子だけが、弱々しく人間の居場所を示していた。

会場の「BLACK CHAMBER」は、如何にも工場の入り口という門を通り、元々は大阪南港の造船所の倉庫であった場所を改造した劇場である。生憎、初日当日は台風が近づいており、雨が降り続く。最寄の地下鉄の駅からも10分以上離れているという悪い条件にもかかわらず、会場は満員で次々集まる観客のために椅子を追加し対応していた。それだけコアな観客がこの公演を待ちわびていた事を証明した。


キーワード
■戦争 ■家族 ■不条理
DATA

TOP > CULTURE CRITIC CLIP > 常に現在であること

Copyright (c) log All Rights Reserved.