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風の市 松岡永子
 心温まる人情喜劇に仕上がった。実に後味がいい。
 この芝居の長所も短所も、その点にある。

 猪飼野に住む在日二世の秀行は六人兄弟の末っ子。父親はあまり回復の見込みのない病気で入院中。ある朝目が覚めると、見知らぬ男が当たり前のように家族に混じっている。彼、ソンジンは父方の従兄弟。叔父である父に会いに日本に密入国してきた。

 そのつかの間の兄貴と、それを取りまく周囲の人々の交流をにぎやかに描く。
 大声で口論し、つかみ合いのけんかをし、酒を飲むと肩を組んで歌う。笑うのも泣くのも開けっぴろげな、気さくな人たち。善意が善意のまま通用し、諍いはしこりなく解決され、努力は必ず報われる。公安の刑事まで「いい人」であることを隠さない。
 済州島の4・3事件、ベトナム戦争、南北分断、在日差別、祖国に対する複雑な思い…。重い現実を背景にしながらあくまで軽やかに描いていく。
 これはある種のユートピアのお話(部分が事実に基づいていることは全体がファンタジーであることとは別の問題)。
 済州島名物のひとつだという風のように、駆け抜けていったソンジンを描きたかったのだろう。

 4・3事件はわたしにとっては、そういうことがあったそうだ、という知識に過ぎない。
 若い世代にとっては、もっとそうだろう。だが在日であることに自覚的であれば、それは知識に過ぎないなどとはいっていられない。自分につながる問題としてどう消化していくのか。
 それは真面目で誠実であればあるほど重くのしかかってくる問題になる。そして、こういう芝居に関わる人はたいてい真面目で誠実だ。

 朝鮮語で語る父とソンジンの会話を、在日二世である秀行は理解できない。
 親兄弟が虐殺されたとき、日本に働きにきていた秀行の父は難を逃れた。
 そのことを、誰も責めたりはしない。けれど本人は負い目を感じてしまうだろう。
 秀行は、知らなかったことは悪いことではないはずだ、と叫ぶ。知らないことを責めるのではなく、教えて欲しいのだ、と。
 これは若い作家自身の声だろう。それで何が解決するわけではないけれど、正面から問題を受けとめようとする姿勢はそれだけで感動的だ。

 4・3事件で全滅した村の生き残りであるソンジンはほとんど口を利かず笑顔も見せたことがない、と養母は手紙で語る。日本に来てからのソンジンは傍若無人で感情の起伏の激しい、毎日酔っぱらっている口八丁手八丁の男として皆の目に映っている。
 どちらのソンジンも嘘ではない。だが本当でもない。本当でない、といって語弊があれば、自然体ではない。
 自分を表現するときに気後れするか気負ってしまう。世界に対して無意識に身構えてしまうため、言葉数は足りないか余分、声は低いか高いか、極端から極端に振れてしまう。まだ自分というバランスをうまく取れない。
 わたしはこの芝居全体に同じものを感じる。まだ自然に過不足なく想いを表現できるような、安定した立ち位置は獲得していない。この作品は経過点であって終着点ではないだろう。今の時点でストーリーや演出、細部の短所、長所を挙げることにそれほど意味があるとは思えない。
 ただ、今できることを精一杯やりきったという清々しさは確かに伝わってくる。そのことを評価したい。

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