蜷川幸雄演出の「エレンディラ」(9月、BRAVA!)の脚本を担当するなど外部でも精力的に活動する坂手洋二率いる燐光群の新作が、「放埓の人」(7月、精華小劇場)以来早くも関西に上陸。「フィリピンベッドタイムストーリーズ」など海外との交流も劇団の特徴だが、本作は同時多発テロが発生した2001年9月11日のニューヨークを、そこで生活する日本人の目線で描く。無料パンフによれば当時坂手は同地で発行されていた情報誌に時評連載を抱えていたとか。在留邦人向けの隔週発行の情報誌編集部を舞台にした本作はあくまでフィクションだが、実在した編集部をモデルとすることでテロが遠因で廃刊となった同誌への愛惜を色濃く匂わせる。事件当日の朝から深夜までの編集部を定点観測して、取材に飛び出す編集部員や編集部に避難して来る邦人を活写する群像劇。刻々と惨劇が拡大し、事件の全貌がしだいに判明する様がドキュメンタリーで描かれる。観客も登場人物と同じ現場に居合わせるライブ感とスリルは演劇ならでは醍醐味だ。ブロードウェイの地元なので演劇関係者が登場しワークショップを披露する(ブロードウェイ出演歴もあるエド・バサロが客演)のも興味深い。ダンボールに隠れ、中で瞑想する動きは、ひきこもりを扱った「屋根裏」(02年、OMS)や、ゴミ袋で生活するホームレスが登場した「ブレスレス」(92年、OMS)をほうふつとさせる。目撃しているような臨場感は、航空機事故で回収されたフライトレコーダーからコクピット内を再現した「CVR」(03年、アイホール)を思わす。演劇だけではなく評論でも活躍する社会派の面目躍如、その集大成の凝縮が本作といえる。本役が病気怪我等で休場した際の代役として当地では必ずアンダースタディが用意されるが、公演が順調なら登場することはない。裏方に徹することが最上とされるアンダースタディだが、その演劇用語をテーマに据えた視点は鋭い。タイトル「ワールド・トレードセンター」の副題に「WORLD TRADE CENTER as in Katakana」が添えられている。本作はあくまでカタカナで書かれた9.11、日本人向け情報誌編集部の目を通した日本語によるドキュメント。多くの日本人も事件の犠牲になったとはいえ直接の被害者はあくまでアメリカ、これからも英語で語り継がれる悲劇を私たちが語るのは、あくまでカタカナによる代役にすぎない。本作で最も印象に残ったのは、重病を隠して采配を振るう編集長(大西孝洋)と元恋人の編集部員(秋葉ヨリエ)2人の関係。彼女は別れたはずの編集長の身体を気遣い、倒壊したビルに花束を手向ける。昨日まで確実にあったはずのものが今はもうない。ワールドトレードセンターも自分たちの恋愛も。次期編集長を睨んだ人事が決まり、それどころかこの情報誌自体がやがて廃刊になる。私たちは既に廃刊の事実もその後アメリカが犯す軍事作戦の過ちも知っている。取り返しのつかない過去を振り返ればせつないだけ。思い出にも代役は利かない。芝居に代役はあるが、自分の人生に代役はない。誰もが、アンダースタディのいない自分の人生を生きるしかないのだ。