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ななばなな 松岡永子
 無表情にラジオ体操をする男女。はしゃぎ気味のインストラクターっぽい女を除いて終始無言。体操が終わると首からさげたカードにハンコを押してもらう。今日が参加初日だという女が質問をすると、驚いた顔で振り向く人たち。

 都心から少し離れた駅前にある五階建ての幽霊ビル。工事途中で建設中止になり、そのまま廃墟になった。三階には猫が住み着いており、一階は行き場のない若者の溜まり場になっている。
 その五階の窓から岩田沙弓という女が飛び降り自殺した。彼女の三回忌直前、代理人を名のる人物から手紙が送られてくる。彼女が怨んでいると書き残した人たちに手紙を送っている、彼女を送り出すために七週間、そのビルの五階でラジオ体操をしてほしい、という内容。やってきた人たちは毎朝ここでラジオ体操をしている。七週間を終えた人はやってこなくなるし、新たに参加する人もいる。途中でやめた人は大怪我をしたという。都市伝説のようだが、敢えて打ち切ろうという者はいない。
「儀式」の最中は口をきいてはいけないというのもいつの間にかできたタブーだ。そんな決まりはないと知った人たちはだんだんと話を始め、うちとけるようになる。
 自分には怨まれるような覚えはないと言いながらも、どこか後ろめたさがあり、皆偽名を使っている。皆、岩田沙弓の関係者であるはずだが、お互いのことは知らない。しかし、新しくやってきた男が参加者の二人と知り合いだったため、微妙なバランスは崩れる。

 彼らがそれぞれに語る岩田沙弓はけっして一つの像を結ばない。
 ある者は、岩田沙弓はよく自分の子どもの話をしていたと言い、別の者は彼女は独身だったと言う。彼女は弁当を持ってきていたと言うのに対して、いつも社員食堂を利用していたと言う者もいるし、他人の手の触れたものは気持ち悪くて食べられないとか言ってスナック菓子ばかり食べていたわよと言う者もいる。

 こういう趣向の話はめずらしくない。
 人のつながりは最終的には一対一のもので、そこで作り上げられる人物像はその人の中だけのものだ。ただ、たいていの人は、自分が知っているのと同じように当然皆も知っていると思い込んでいる。その思いを単純につきあわせてみると齟齬だらけで驚く。
 そんな状況を誇張して見せて、他人を理解しているという思いこみについて問う物語もある。自分自身のアイデンティティの不確かさに話が進むこともある。

 だがここでは一人の少女が登場する。
 彼女を見た人たちは皆、岩田沙弓にそっくりだと驚き、何かの企みかと疑う。

 彼らは自分の言葉を裏切っている。ある人は岩田沙弓は男に媚びると言っていたが、少女の態度はぶっきらぼうでとても誰かに媚びられそうにない。少女にはどう見ても子どもがいるようには見えないが、岩田沙弓には子どもがいると言っていた人も何の疑問もなくそっくりだと思う。
 それぞれが岩田沙弓の特徴として述べていたことが当てはまらないのに、彼女をそっくりだ、いやそのものだ、と言う。それは彼女が岩田沙弓と本質的に「同じ」人間だからではないだろうか。

 参加者の中に一人だけ、少女を見ても驚かない者がいる。彼女は岩田沙弓を知らないと言う。手紙がきたとき、アドレス帳をひっくり返してみたけれど見つけられなかった。けれど、怨んでいるというなら自分が何をしてしまったのかを知りたくてここに来た。彼女は可愛がっているつもりで猫を玩具のように扱い、死なせてしまった子どもの頃の思い出を語り、その思い出のために自分の気づかないところで人を傷つけているのではないかと思えて保母の仕事も辞めたのだという。
 それはたぶん嘘だ。何か仕事を辞めるような事件があり、思わぬところで人を傷つけていたことを知って、子どもの頃のことを思い出した。だから心当たりのない人からの手紙にも、どこか知らないところで自分が人を傷つけているかもしれないと確かめずにはいられなかったのだろう。
 彼女の怯えは杞憂ではない。人は他人のちょっとした言葉や態度に傷つくものだ。インターネットが普及した現代社会では、どこで他人に傷つけられるか、どこで他人を傷つけているか見当もつかない。考えると果てがない。だからたいていの人は考えないようにしている。

 少女は毎朝の集会に参加するようになる。だがラジオ体操はしない。
 なぜ一緒に体操しないのかと訊かれ、知らないからと少女は答える。
 自分の知っていることは当然皆知っている、自分の考えがスタンダードだ、というのは錯覚だ。でも他人も自分と同じだと思っている方が楽だ。思えない者は集団からはみ出してしまう。

 子猫を産んだばかりの猫に近づいてはいけない。こちらは可愛がっているつもりでも、脅威を感じた母猫は子猫を食べてしまうことがあるから。
 その話の通り、ある日三階から猫の姿が消える。あとには子猫の首が一つ転がっていたという。

 煮詰まった人間関係の中で、手紙を送ってきたのは誰なのか、犯人探しが始まる(こういう人間の嫌な面を見せるやりとりは実に巧い)。もともと自殺志願だった少女は、人々の責任転嫁や身勝手さに苛立ち、罵り、窓から飛び降りようとする。死にたいなら勝手に死ねばいいと言いながら彼女を抱きとめる人。あんたが死んだらあんたはよくてもこっちは困る、と言う。

 岩田沙弓も彼女と同じだったのだろう。自分勝手な他人が大嫌いで、でもそんな他人に、あなたが死ぬのは嫌だと言って、止めてほしかった。けれど止められないまま、岩田沙弓は死んでしまった。
 少女は岩田沙弓と同じ自殺願者だったのかもしれない。岩田沙弓の心残りが形をとったものかもしれない。彼女たちと同じ自殺者の共通の魂だったのかもしれない。
 望みが果たされたのか、少女の姿は見えなくなる。
 もしかしたら少女は猫だったかもしれない。人間なんか大っ嫌いで、でもかまってほしがってもいる。

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