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パフォーマー
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会場
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公演日
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エレクトラ |
松岡永子 |
非常によくできた話だ。ギリシア悲劇の換骨奪胎。 舞台には白い紙が四角く敷かれている。能舞台と同じく、そこに立てば登場、降りれば退場。 その上に椅子が一つ。 たとえばそこに座っていた者が立ち上がり語り出すと(語る者はたいてい観客に訴えるかのように語るため必ず立っている)別の登場人物が椅子の場所を動かす。それは語り手を別の人物に移動させるための動作にも見える。 物語は複数の人物のそれぞれの立場からの証言で進む。 よく芥川龍之介の『藪の中』が引き合いに出される手法だ。ただ、この作品中の人物は誰も嘘をつかない。事実と想像を明確に区別していて、思いこみを事実として断定的に語ったりもしない。『藪の中』よりも、パズル的な本格推理物に近いかもしれない。——五年前。スーパーマーケットの社長が謎の転落死を遂げた。捜査では事故死と断定されたが、真夏の湿気のごとく町に充満した噂話によれば、それは夫人が引き起こした殺人事件であるとのことだった。時が過ぎ、そのスーパーは地域住民のためのコミュニティセンターとして生まれ変わった。そこで市民講座「古典を読む—エレクトラ」が開講されたその日、町を覆い続けていた呪いは音もなく静かに、溢れ出した、らしい。(フライヤーより) 講座の活動として朗読があり、その『エレクトラ』の言葉が、各シーンの状況、台詞に実に巧く響く。 ソフォクレスの『エレクトラ』をなぞるような父の死。 スーパーマーケット跡地にできたコミュニティセンターで市民講座に参加するのは亡くなった社長の妹娘。姉は父を殺したのは母だと確信しているが証拠はなく、周囲の理解も得られず妄想に取り憑かれているようにも見える。 姉のサイト「エレクトラ」は、父の死の真相究明のためのものだったはずだが、やがて母と再婚相手への悪態と呪詛で埋められるようになる。心配する妹が、姉に別の生活への希望を与えようとオレステスの名でした書き込みは思わぬ形で母の犯罪をあぶりだし、姉の確信を深める。 あなたが市民講座に出席している間にすべては終わっているから、と姉は妹に告げる。 妹は、姉が手を下す前に自分が母を殺すしかない、と思い、別の講座(料理教室)で準備されていた包丁を手にする。そして、偶然来合わせた講師の、何してるの? の声に思わず刺してしまう。 今頃はもう姉が母に会っているかもしれないと焦り、ただその姿を誰かに見られたということですべてが崩れるような気がする。その一瞬をやり過ごすために、何の悪意もなく無関係な人を刺殺してしまう。 そんな異常に昂った心理を表現するにしては舞台の進み方は淡々としている。淡々としすぎてわたしにはもの足りない。最後の「どうしてこんなことになったのかわからないただ姉を助けたかっただけなのに、と彼女は語った」といった伝聞形式の台詞を当人が語るだけでもかなり違うだろうと思う。 ただ、無言無表情で舞台中央に座り込んでいる妹は、運命の操り人形のようにも見える。 この話は「エレクトラの」換骨奪胎というよりも、悪意ある運命それ自体が主人公であるような「ギリシア悲劇の」換骨奪胎といった方がふさわしい。 声だけの登場人物が語るとき、金具を支えに紙の一部を持ち上げる(めくられた紙の下にも紙がある)。白い壁が立ち上がり、その後ろで語っているという趣向。二度目に同じことをしたとき、下に現れるのは赤。舞台端1/5ほどの床が赤く変わる。舞台の色彩は、クライマックスで舞台を斜めに横切るように置かれる赤い鎖とこの赤い床のみ。 黒い空間の白い舞台に赤の色が鮮やかに映える。シンプルな装置がスタイリッシュで美しい。
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