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パフォーマー
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会場
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公演日
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チォンソ |
松岡永子 |
朝鮮高級学校を舞台にした青春グラフティ。 パンフレットに書かれているとおり、これはフィクションであり、事実そのものではない(たとえば、会話のほとんどを日本語にした、と注が付いている。アメリカンスクールの学生生活が英語でなく日本語で進められるのと同じく、「リアルではない」風景だろう)。だが時代や地域(大阪)の雰囲気はよく出ている。主人公の置かれている社会的な状況も背景に見え隠れする。 今回の作品では民族問題を中心とした社会的な状況、時代など、特有の事情は背景に沈み、思春期のいらだちや焦り、自負心といったいつの時代にもある少年の心理が前面に立ち上がっていたように思う。普遍性を持っていて誰にでも理解しやすかったともいえるし、社会性や問題意識よりも娯楽性が高かったともいえる。 それはわたしなどにはバンカラという文化を描く旧制高校の物語と共通するものを感じさせた。暴力性を懐古的に描く感性ゆえかもしれないし、自分は周囲の多数者とは違うというある種の選民意識からかもしれない。その意識のよってきたる所以、背景は全く違うのだが。 主人公のチャンソは朝鮮高級学校に入学し、新しい悪友を得て、さっそく猛烈な体罰の洗礼を受ける。 「(殴られるのが嫌なら)煙草やめたらええのに」 劇中の女子生徒の台詞と同じように、わたしもそう思う。彼らは好きでやっているように見える。 教師を怖れて逃げ隠れしながらどこで煙草を吸おうかと仲間で集まるようすは、教師とのやりとりを含めて、そんな行動を楽しんでいるようでどこか牧歌的な光景だ。 体罰は当然(殴られるようなことをしたと親にも叱られる)、先輩後輩の序列がしっかりしていて、中学時代と違って丸刈りにはしなくていいけれど服装規定もしっかりある。 そんな、ちょっと懐かしめの高校生活は多くの人のセンチメンタルを誘うだろう。 一方、朝鮮学校特有の問題もある。 大学進学を考える生徒がクラブ活動を三年生までつづけられなかったのは、受験準備に時間がかかるからだろう。朝鮮高級学校卒業は高卒資格として認められないため、大学受験の前にいわゆる大検に通っておく必要があった。(現在近畿の主な公私立大学では受験を認めている。2003年の文科省通知以降は国立大学も受験を認めるようになったのだろうか?)。 あいつは俺たち生徒を殴るために教師になったんだ、強くなるためだけに魂を売ったバッファローマンみたいな奴だ、と悪ガキどもが教師のことを噂する。だが、彼が教師を志したときにはどんな思いがあったのだろうか。公務員の国籍条項のため外国籍の人間は公立校の教師にはなれない。 そういうことは明示的には語られない。社会的状況はあえて読み取ろうとする者にしか見えない。 それでもチャンソは確かに状況を背負っている。彼は自意識過剰だ。素直になれず器用になれないから恋もうまくいかない。思春期ならあたりまえの自意識過剰も、朝鮮高級学校の生徒だということで独特の色彩を帯びる。 朝高生は喧嘩が強い、というのが通り相場なので他校の不良は道をあける。けれどもチャンソは決して強くない。そのことを他人にも、自分にも、知られたくないと思っている。背伸びし、自分を大きく見せようと空威張りする。いかにも朝高生らしい仲間の中で疎外感を持っている。 だから友達にけしかけられるとムキになって他校生に突っかかっていく。相手のひとりは子どもの頃のチャンソを見知っていたらしく、通名で呼びかける。 チャンソは通名で呼ばれたとき返事をしない。知らんふりしてやり過ごす。彼はまだいろんなものと向き合えない。 朝高生は喧嘩が強い、という伝説ははるか先輩が作った。そして代々、朝高生はその伝説を作りつづけている。今、自分が伝説を作る番になった。自分が負けるのは自分だけの問題ではない。そんなことを思いながら、同時にそんな考え方に違和感を抱いてもいる。 おまえたちの行動は七十万の同胞を背負っているのだ、と教師は言う。親たちは血を流して民族を、学校を守ってきたのだ、とも言う。 強い信念がなければ即踏みつぶされる、というほど暴力的な圧迫を受ける時代は過ぎた。だが、問題は何も解決していない。チャンソは、押しつぶされるというより拡散していくアイデンティティに苛立っているのかもしれない。 そんなチャンソの心情を直接語る言葉は抒情詩のように抽象的だ。日常語の他の台詞とはかなりトーンが違う。浮き上がって流れてしまう。 聞き流してしまってもかまわないのだろうか? コミカルに描かれる学校生活と、民族楽器の演奏を背景にしたクライマックスシーンはそれだけで十分劇的ではあるが。 通学電車が急行待ちで停車する2分間、プラットホームでの他校生との喧嘩がクライマックス。それは仲間に見守られての一対一の決闘だ。 チャンソはその喧嘩をきっかけに迷いや悩みを正面突破しようとしている。 殴り負けた喧嘩相手は、どこの学校かどの国の人間かなんか関係ない、あいつと俺がやり合って今回はあいつが勝っただけだ、と言う。昔の少年漫画のようなさわやかな喧嘩。 小賢しく立ち回ることを潔しとしない、誇り高い少年時代が描かれる。
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