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パフォーマー
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会場
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公演日
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サイタ、サイタ、サクラガサイタ |
松岡永子 |
まもなく昭和が終わろうとする頃。 病院のベッドで息を引き取ろうとしているひとりの男。 彼は、妻にも娘にも隠しつづけてきたことを死ぬ前に話したいと思っている。 有人爆弾「桜花」を立案した男の話だ。「桜花」は独立して飛ぶことができない、特攻のためだけに作られた兵器だ。彼は飛行技術を持たない自分が乗るためにそんな飛行艇を考えた。だがそれは実用化され大量生産され、若者たちの命を奪った。自分の命を大切にできない者は他人の命も大切にできなかった。 戦後、戦犯である彼は三年と同じところに住まず、仕事も転々としてきた。妻にも本名を明かさなかった。そして年老い、まもなく死のうとしている。 酔族館は物語をSFタッチで処理することが多い。話の運びを軽快にするには有効な手法だ。 だがこの作品ではその方法は使われない。登場人物は時間を行き来するが、それも病人の幻想だと思えなくはない。重い話を重いままに扱う、真摯でストレートな手法がこの題材にふさわしい。 逃げるように生きてきた彼のことを、妻は、逃げつづけることで忘れないようにしてきたのでしょうという。 彼は、ひとびとに忘れられるという形で死んだ若者たちを再び葬ってしまうことを怖れている。散る桜の幻をみる。冬の病室に数え切れない花びらが舞い込んでくる。 決して巧い芝居ではない。 一般的に、正面を切る演技が多いことは芝居が稚拙なしるしだ。会話しているはずの舞台上の共演者の方ではなく、客席を向いて観客に向かって台詞を言うのは学芸会の演技だ。 だが、この舞台ではその演技がふさわしい。彼らは語りかけたいのだ。 初演時はそれがもっとはっきり示されていた。桜の花びらは客席の上にも降ってきた。 この作品は完成品ではない。始まりである。
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