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パフォーマー
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会場
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公演日
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風の亡骸 |
松岡永子 |
六月のアトリエ公演の続編にあたる物語らしい。わたしは今回の公演しか見ていないが、そのためにわかりにくくなっているとは思わなかった。説明不足を感じるのは別の問題だろう。 育ての親でもある女社長が殺され工場が閉鎖されたため、JUNは元同僚のクチナシを頼って小さなイベント会社(実質は葬儀社)とこわかで働きはじめる。 社長と有能な社員とふたりで運営しているとこわかの経営は順調で、社長は若いキャバ嬢と再婚してデレデレしている(前妻は妊娠したまま行方不明になってしまった、という噂)。だがそこにコンサルタント会社が乗り込んでくる。会社を乗っ取られ閑職に追いやられた社長は妻に暴力をふるいはじめる。彼は以前にも同じように暴力的だったことがあるらしい。 コンサルタント会社が持ち込んだ遺体を焼くのではなく小さな結晶に固めてしまう機械は、JUNたちがいた工場にあったものと同じだ。それは錬金術の機械で、女社長が殺された原因もそれにあるらしい。 錬金術に大天使と魔王の因縁話、人類の進化と環境破壊、と物語はいつも通り大がかり。だがこれは、自分が何者であるかを探すJUNのお話だ。それと大きな物語との繋がりが充分に見えないためわかりにくく感じるのだと思う。 それでも、今回のお話が比較的シンプルにわかりやすく見られたのは、新人の役者ふたり(JUNと隼)を軸にするという作りがぶれなかったからだろう。 時々姿を見せては、自分は自由な風だという隼(じゅん)とJUNは双子のような鏡像のような存在であり(その辺りが前作で示されているのだろうと推察する)、JUNにだけ見える幻の少年も現れる。 幻の少年は母親と明るい未来の夢を語る。貧しい生活から発展と繁栄を夢み、また通信網で世界中と交流する未来世界を夢みている(現代から見れば単純すぎる「明るい未来」だ)。 親の記憶を持たないJUNは、彼らを鍵に自分が何者であるのかを探していく。彼らはみな、生まれなかった子ども(とこわか社長の子どもでもある)の「想い」であり、天使たちに回収される前に人間に拾われ育てられたJUNは実体としてここにいる。 環境破壊による温暖化は、人類が誕生した熱帯への回帰願望の現れなのかもしれない。では、進化とは寒い地へと向かうことだったのではないだろうか、と物語はいう。 自分が何者であるかを自覚したJUNが向かうのはまだ見ぬ寒冷の地だ。 一幕終わり、吹き上がる水は点滅するライトに照らされ、水銀の粒のようで美しい。 わたしが見た日は二幕目が始まったあたりで雨が強くなり、途中、テントを叩く雨音で台詞が聞こえにくいところもあった。それためかえって耳を澄ました観客が、集中してクライマックスを見ていた気がする。 告別式から始まるこの物語は、グランドロマンを見続けていた人の死を契機にするものなのだろうと思う。その人は、彼らの老成しないことを愛していた。その若々しさは未熟さ、拙さと背中合わせだ。場数を踏めば手際よくまとめることも、見栄えよく作り上げることもできるようになる。だが彼らには、それよりももっと大切にしたいことがあるのだろう。それにこだわりつづける愚直な誠実さを愛していた。 若い役者を軸にする、それでも前進を指向するこの物語は、未熟なところ舌足らずなところを含めてとてもグランドロマンらしい。
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