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パフォーマー
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会場
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公演日
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100年トランク |
松岡永子 |
黒い帽子に黒いコートの背の高い男が古びたトランクを持ってステーションに立っている。 この世界では税関の役人は旅行者に「歌」を求める。移民は皆、自分の本質を表す歌を持っていて、それをパスポートに国を渡っていく。 歌を持たない男は呆然と立っている。彼はこの世界に慣れていない。 トランクの中から何があったのかを尋ねる声がする。トランクの中には男の妻・カタメが入っている。 歌を持たない男とは反対に、カタメは次々と歌を歌う。できごとにメロディをつけて次々と綴っていく。自分は歌えないという男にカタメは、わたしの歌はあなたの歌、夫婦なんだから、と言う。 カタメ役の出口弥生の独特な歌とマリオネット風の動きはなかなかよくできている。だが、歌が存在証明になる世界という設定なら、音楽劇のようにもっと歌に溢れていてほしい気はする。難しいのはわかっているが。 男は最初に訪れた暗闇の国でカタメと出会った。出会った一瞬はとても美しく見えたのに、と男は言う。 今、光の下で見るカタメは醜悪で、顔を合わせた者は驚きの声を上げる。男はあわてて、これは人形だと言い繕いトランクに詰め込む。男は、カタメを世界の果てに捨てようと決める。あてのなかった男の旅に、世界の果てに向かうという目的ができる。 カタメは泰然として、世界の果てに辿り着くまでとりあえず「生活しましょ」と言う。 カタメは人形として巧みに歌い、踊る。男はそれを操っているふりをする。醜い人形と人形使いとして日銭を稼いでいる。 トランク職人が男のトランクを見て、譲ってくれ、とまとわりつく。男はその申し出を頑として断る。一方、よっぽど大切なものが入ってるんですねという言葉も否定する。 ステーションの中で運び屋の荷物とカタメの入ったトランクが入れ違ってしまう。声を掛けても返事のないトランクを男が開けると「空っぽ」だ。 大切なものが入っているんですか、という言葉を男は否定し続ける。大切だというつもりも、たぶんない。けれどなぜだか手放せない。 男はトランクを探し回り、ステーションのゴミ集積所に積まれたトランクの中身を次々とぶちまけていく。 ステーションにはゴミ分別のスペシャリストがいて、燃えるゴミ燃えないゴミ資源ゴミと迷うことなく分類していく。ただトランクについては、中を見る必要があるからと保留にする。 トランクは外から見てはわからない内側に、その本質と価値を持っている。 カタメの入ったトランクを捨てに若い男が現れる。 ストーカーっぽい彼は、気に入った女の子をバラバラに刻んで、108個のトランクに詰め運び出した。それをつなぎ合わせてもとどおりにし結婚するつもりでいる。もとどおりにするために重要なのは、目には見えない魂を戻すことだと考えていて、魂を詰めたトランクには長大な取扱注意書をつけて運び屋に依頼した。「空っぽ」だったのは、彼が魂を入れたと称するトランクだ。 魂の入ったトランクを紛失した彼は、役に立たなくなった他のトランクも捨てるつもりだった。だがトランクが入れ違っていたと告げられ「魂の入った」トランクが戻ってくると、捨てなくてすんでよかったと、他のトランクを一緒に運んでいく。 若い男を見送りながら、男はあれは自分だと呟くが、わたしには正反対のように思える。 若い男は、最も大切なのは目に見えない魂なのだ、と知識として知ってはいる。だが大切にするとはどういうことなのかわかってはいない。 大切なものが入ってるんですねという言葉を肯定しない男は、外から見えないものが大切なのだと、知ってはいない。 カタメは男のもとに戻ってきた。男はやはりカタメを捨てるために世界の果てへの旅を続けるという。 アグリーダックリングの衣装や美術はカラフルなおもちゃ箱のようだ。日常的な意味ではリアルでないが、こどもの遊びの中でガラス片か宝石になり風呂敷が空飛ぶマントになるように、別の世界が現れる。 今回は大きな可動式の黒板が使われる。黒板は目隠しになり、またさまざまな記号や言葉が書き込まれる。 たとえば、「氷の国」と書かれた黒板が動き、「砂漠の国」と書かれた黒板がまた動くことで、その国を訪れたことを示す。後ろにある動かない黒板には、1年、5年、10年と時の経過が刻まれる。 男はトランクと一緒に、灼熱の国、氷の国、砂漠の国とめぐっていく。数限りなく国をめぐりながら、ここは世界の果て? と尋ねるカタメに、男はまだ世界の果てには辿り着かないと答え続ける。 世界の果てに着くまでは「生活しましょ」とカタメは言う。「生活」という言葉がこんなにロマンチックに響いたことはない。 この「生活」とは一緒に時間を過ごすこと、だろうか。それは夢や幸せほど曖昧ではなく、現実からは少しだけ浮かんでいる。 100年がたち、カタメは死ぬ。男は妻を失う。男は歌を口ずさんでいる。カタメの歌がいつの間にか男の歌になっている。 男はここが世界の果てなのだとようやく気づく。 主人公の男を演じるサカイヒロトが役の雰囲気にぴったりでとてもいい。舞台で見るのは久しぶりだ。作家や美術の活動ばかりでしばらく役者はやっていなかったはずだ。 ところでなぜ、100年、なのだろう。 『夢十夜』の女は、100年待っていてくださいと言う。それをふまえてか、寺山修二は100年たったら迎えにいくよ、と書いた。 恋を確かめるのに100年はちょうどの時間なのかもしれない。でもそれではいつも手遅れで、後悔ばかりな気がする。
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