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古典にひるまない心意気 西尾雅
おなじみオープニングテーマ曲(ジューダス・プリースト「ディフェンダー・オブ・ザフェイス」)なしで始まる新感線が何とも新鮮(劇団本公演ではなくパルコプロデュース公演、いのうえmeetsシェイクスピアではあるが)。むろんいつものギャグも影を潜め、台詞は脚本(翻訳:三神勲)をいじらず、あくまで忠実に。が、そこかしこに散りばめられたセンスはいのうえ流。逆に新感線ならではの演出を強く感じさせる。

本来はイギリス王室の歴史劇だが、舞台の宮廷を地下の廃工場(林立する錆びたパイプラインやレトロな格子扉のエレベーターは維新派の装置を思い出させる。美術:池田ともゆき)、時代を近未来に置き換える。衣装はモッズやパンク、サイケにグラムとロック全盛時のイギリスをほうふつ。日本のグループサウンズのコスチュームもまねるが、どれも薄汚れ、パッチワークで繕ってある。今どきのおシャレなグランジファッションとも取れるが、演出の意図は「地下に閉じ込められた(中略)ファッションがボロボロになっている人たちが、地下で王室劇を繰り広げている」(パンフより)だそう。

さらに目を引くのが左右に配置された計13台の液晶モニター(キリスト教の不吉な数字は不幸の暗示だ)。新感線の舞台でこれだけのモニターが使用されるのは「SHIROH」以来だが(05年1月上演、当時は横長ではない旧式のブラウン管TVだった)、開演前に流されていた現代の東京の夜景にノイズが入るや開演、近未来の戦場が映されて突然物語の世界に運ばれる。その兵士はスターウォーズに登場する帝国軍の戦闘スタイルに似た姿だ。一挙にたたみかける展開の速さがいかにも新感線だ。

古典に近未来のアレンジをほどこすことで時を越え、現代に通じる話に仕立て上げる。垂れ幕や衣装のモチーフのユニオンジャックが王の座をめぐる政権争いを強調する。イギリス王家の跡目争いに、現代の政界再編のきな臭さが立ちのぼる。ユニオンジャックがいつしか日の丸と二重写しになるのだ。

人物の系図や、両軍の進軍コースの表示でわかりやすさを試みるモニターは、役者がカメラを握る生映像でも大活躍。舞台の外で起こる出来事、たとえばロンドン塔での王子の死など原作での伝聞は、イングランドニュースの速報としてビジュアル化される仕掛けだ。

圧巻は舞台を生中継の現場とする演出だろう。内心の野心を隠し、請われて王の座を引き受ける芝居を、リチャード(古田新太)はカメラの前で演じる。国を憂い流す涙は目薬と観客は知るが、全国民が凝視しているだろうモニターにはその場面、つまり真実は映されない。

マスコミを利用した情報操作の上手さは、病死した兄の子=皇太子を追い落とす際にも発揮される。未亡人となった王妃エリザベス(久世星佳)に不義の噂を流し、皇太子の王位継承権に疑いを投げかける。自分は陰に回り、配下のバッキンガム公(大森博史)に「リチャードと共に新しいイングランドを考える会」のプラカードを掲げさせる。提灯持ちが黒幕の意を受けて大衆を洗脳する今もおなじみのやり口に背筋が冷える。

徹底して卑劣なリチャードだが、アン(安田成美)やエリザベスをころりと言いくるめるチャーミングな人間性をも備えている。だからこそ、やがては離反するバッキンガムも一時は従ったのだろう(計算ずくの出世欲もあろうが)。夫を殺しておきながらその未亡人アンに結婚を承諾させる見事な口車。古田リチャードは女が去った直後「バーカ!」とあざける。実にヒドイ男だが、そこまで単純な思考回路はあっぱれ、いっそ爽快ともいえる。

最も魅力的な古田は、悪だくみが成功し見事王位に就いて、ほくそ笑む瞬間だ。王位受諾をしぶる(振りをしていた)リチャードがようやく折れ、安堵した人々が背を向ける中、振り返る古田ひとりが観客席に向かって会心の含み笑みをもらす。登場人物誰もが知らぬ主人公の内面を観客は共有する。これぞ生の舞台の醍醐味といえよう。

古田以外の見どころもたっぷり。銀粉蝶(マーガレット=アンの義母、リチャード一派に呪いをかける)、三田和代(リチャードの母=ヨーク公夫人)そして久世の女優3人は、アングラ、新劇、宝塚と出身や演劇スタイルがまったく違う異色の顔合わせ。小劇場発の新感線の舞台での揃い踏みに感慨はひとしおだ。

誰が上手いとか、誰がいのうえ演出に合っているとか、ましてシェイクスピアの解釈として新感線がどうかとか、はこの際どうでもいい。それぞれの人生を刻んだいぶし銀の女優ひとりひとりが演じ、舞台上で生きている、その姿を見ることが観客の至福だ。

シェイクスピア劇に付き物の独白。冒頭で驚かされたのは、リチャードの独白をICレコーダーに吹き込む彼の計画立案とする演出。おタクのリチャードはミニノート(パソコン)を手離さず(打ち込んだ内容はモニターで表示される)、王座で食するのは大好物のマクドナルド。対するマーガレットも腕と一体化したキーボード(年老いた彼女は既にサイボーグ化されているのか?)に呪いの言葉を打ち込む怪物であり、2人はある意味そっくりで、その争いは部外者から見れば近親憎悪としか思えない。

王座に就いたリチャードは短命。リッチモンドの挙兵とそれに呼応した身内の反乱で、命運はあっけなく急転直下。戦場で落馬したリチャードは「馬をくれ、かわりに王国をくれてやる」と叫ぶ(古田リチャードの愛馬はバイクだが)。血まみれの簒奪で手にした王座の虚構性を象徴するあまりにも有名な台詞だが、古田リチャードは元々深い意図があって王位をねらったのではない。

リチャードは長兄の持つ王冠がただうらやましかったのであり、病身の長兄から甥や次兄の手にそれが渡るのが悔しかっただけ。女への欲望もまたそう。人妻のアンだから欲しがり、エリザベス(長兄の妻)の娘だから結婚を申し込む。目の前の他人のものを横取りする、ただの駄々っ子なのだ。

王の座を得て何かをなしたいのではない。王になることそれ自体が目的だった彼にとって、王冠を手にした今、目の前の一頭の馬が王国以上の価値を持つとしても何の不思議もない。王の器たらざる者が、手練手管のみで王座に就く不幸。それは示すべき理想も持たない人物が、派閥調整や不毛の政争の末に首相に選ばれるどこかの国にとてもよく似ている。

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