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パフォーマー
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会場
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公演日
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楽屋 |
松岡永子 |
いつもは作家・演出家として活動している女性四人による芝居。 舞台女優の業を描いた古典的な作品だが、今回は演じる四人をいかに魅力的に見せるかということに主眼を置いたようだ。 芝居にとらわれて成仏できない幽霊たちは、何のものおもいもない天国よりも、ここにいるのが楽しそうに見えてくる。 ここは楽屋。舞台ではチェーホフの『かもめ』を上演中のようだ。 ヒロイン・ニーナの台詞を稽古している一人の女優。それを横目で見ながら、延々と化粧している女優が二人。 ニーナ役の女優が舞台に出ていくと、残された二人は生前自分がプロンプターを務めた芝居の好きなシーンを順に演じる。二人はヒロインをやれないまま死んでしまった女優の幽霊で、ニーナやマクベス夫人などやりたかった役の稽古を延々と繰り返す。なにしろ時間はいくらでもあるのだ。 幽霊たちの生き生きした掛け合いは女子高生のおしゃべりのようでテンポがいい。彼女の書く戯曲の思いつめたような作風とはまったく違う棚瀬美幸の演技が、わたしには新鮮だった。 終演後、楽屋に枕を抱えた奇妙な女が訪ねてくる。以前この芝居のプロンプターを務めていた彼女は、わたしの病気は治ったからニーナの役を返してと迫り、主演女優は手にしていた鏡で思わず殴ってしまう。女が出ていったあと、主演女優は音楽をかけ、落ち込んだ自分の心を立て直す。 このシーン、黒い下着姿の芳崎洋子が実にカッコイイ。若さを失いつつある焦りを力ずくでねじ伏せる大女優の貫禄がある。 女優としては初舞台という芳崎の気迫のこもった直球の演技に、無邪気なようにも見えるしとんでもなくしたたかなようにも見える、なかた茜の振り幅の大きい変化球が絡む。 深夜、枕を抱えた女優が戻ってくる。幽霊たちが見えるようになっている、ということは彼女も仲間になったのだ。 せっかく三人になったのだし、と『三人姉妹』の稽古を始める。彼女たちはこれから永遠の稽古を繰り返すのだ。 幽霊たちが口にするチェーホフの戯曲の台詞が、彼女たち自身に響く。 『三人姉妹』は「生きていかなければ」と言う。 「いつか、どうしてわたしたちがこうしているのか、その意味がわかるときがくる」と言う。 『かもめ』のニーナは、旅回りの女優になって女優にとって重要なのは名声や栄光ではないとわかった、と言う。 幽霊たちも名声とは違う何かを求めて女優でいつづけるのだろう。だが、生前名声が得られなかったからこそ、成仏できずこの楽屋にとどまっているのも確かだ。 やりようによっては重くなってしまう話を、実に軽やかにまとめ上げる。それはこの企画にはふさわしい。 芝居の最初と最後、照明を落とした舞台にバラバラに立った四人は、手もとの鏡を見ながら「流れさるものはやがてなつかしき…」というこの芝居のモノローグ部分を口にする。 この内省的なシーンを縁取りにして、芝居は明るい鏡面のようだ。鏡の表面にはさまざまな姿が映り、移り変わっていく。 美術も鏡をモチーフにしていて、とてもきれいだ。 ポストパフォーマンストークで「美術のサカイさんが水平をとった上で四人がシーソーをする、その支点を土橋さんがとった」という発言があったが、その通りだと思う。 初日に清水邦夫氏からFAXが届き、トークゲストの渡辺えり氏はやはりパワフル。 この企画はお祭りなのだ。期間限定、というプロデュース名の通り、お祭りはあっけなく終わるから意味がある。また、改めて別のお祭りがあるのかもしれないが。
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