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パフォーマー
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イザナキとイザナミ〜古事記一幕〜 |
松岡永子 |
どん、という大太鼓の音。ビッグバンの瞬間かもしれない。暗闇の中からやがて、風のような呼吸の音が聞こえてくる。ああ世界はこんな風にして始まったのだな、と思う。 地表すべてにわたっていたような呼吸がやがて一人のものになる。イザナキ・イザナミの誕生。 古事記のイザナキ、イザナミの国生み譚に材を取った一人芝居。相手役(?)として楽師が一人、舞台にいる。 世界の始まりから独り神たちの誕生、イザナキ、イザナミのくだりまで原文を朗読。それだけではわかりにくいと思ってか、重ねて白紙の切り紙や指人形を使って現代語で語る。この、神様たちの姿を描いたほぼ正方形の切り紙がすばらしい。ステンドグラスのようでもあり、しめ縄につけられた紙垂のようでもある。 それ以外にも、舞台には古事記の一節を真名書きの書にした布が何本か垂らされ、舞台を飾っている。派手ではないが、瀟洒で美しい舞台装置。 この物語りでは、最初イザナキとイザナミは一体だ。 自分に語りかける声をあたりに探すが、自分以外には誰もいない。相手は自分の内にいる。内にいるものは目では見えない。イザナキ・イザナミはどうしても相手の顔を見たくなる。 イザナキとイザナミは「わたしたち」が一人しかいないことがさびしくて「わたしとあなた」の二人になった。 二人は互いの顔を見、互いの声を聞く。二人でひとつの楽器を鳴らす。二人でいることは楽しい。イザナミはこのままの時間が永遠につづくことを信じ願う。 舞台上手にはバラフォン、カリンバ、各種太鼓など数多くの民族楽器が並ぶ。 機械を通さない音は心地よく、各シーンで楽器は雄弁に語る。 二人になったイザナキ、イザナミは一緒に暮らし始める。日常生活のこまごました面倒ごともほほえましい。 赤ん坊から始まった二人は人間と同じように成長していく。彼らはアダム、イヴのように何かを禁じられているわけではない。健全に成長していって、子どもを産む。イザナミは母であり妻である幸せが永遠につづくことを想う。 衣装もよくできている。オフホワイトのざっくりした質感のワンピースは神代っぽい。留めてあった紐などをはずすと裾の長さ、シルエットが変わり上衣から女らしいドレスに変わる。他に一枚の大きな白い布をまとい、たとえばその布に扇風機で風をはらんで大きくなったおなかに見せる。 子どもを次々と産んだイザナミは所帯じみて家事に忙しい。あの人は何にも手伝ってくれないんだからと愚痴をこぼす姿はとても人間っぽい。わたしばっかりおなかが大きくなって苦しい思いをしなきゃならないなんてずるい、という感慨は昔から変わらないものだろう。 それでもつわりの妻が食べたいというものを夫は取ってきてくれる。だがそれもしだいにおざなりになってきた気がする。一生懸命話しかけているのにまともな返事もしない。 わたしはあなたではないから、黙っていては心の内がわからない。二人でいることはさびしい。そんないらだちが最高潮に達し爆発して、イザナミは火の神を産む。 自分の炎で母親を焼き殺してしまった火の神は赤い衣装をまとい踊る。全体的にモノトーンで統一した舞台の中で、この激しい赤のシーンはアクセントになっている。 死んだイザナミを追ってきたイザナキは、醜く腐った妻の身体を見て仰天して逃げ帰る。決して見ないと約束したのに、とイザナミはイザナキを責め一日千人の命を奪うことを宣言する。イザナキは千五百人を生むことを誓う。 黄泉にいて、二度と会うことのないイザナキをイザナミは永遠に想いつづける。あなたは神だから、神を想うことは祈りだから、わたしはここで永遠に祈っているのだとイザナミはいう。 音楽劇と題するだけあって演奏はすばらしく、物語とも深く関わり合っている。衣装、照明、美術、小道具などどれもアイデアと技術力に溢れていて、シンプルで贅沢な舞台。
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