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パフォーマー
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会場
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公演日
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覚めても続く悪夢の童話 |
西尾雅 |
フロイトは夢を分析して、人間の潜在意識下に抑圧された欲望が覚醒時の行動をも左右していると指摘した。が、医療科学として心理学が確立するはるか以前に、童話はしばしば残酷で容赦のない結末を用意し、既に人間の隠された欲望を暗示していた。変身願望や魔法の入手、難題の解決、戦いの勝利や敗者への処罰、お話にまぶされた欲望の数々は、そのまま人が抱える複雑な心理を映している。 内から突き上げる想いを言葉に変える樋口が、童話をモチーフにするのはごく自然な成り行きで、池田がパンフの挨拶で告白するように劇団名(みにくいアヒルの子)とも似合っている。ときに整合性を無視し荒削りにも見える展開は、逆にやむにやまれぬ情動のリアリティを浮き上がらせる。OMS戯曲賞大賞を連続受賞した樋口と若手演出家コンクール優秀賞を受賞した池田のコンビは、もはや若手と呼ぶのをためらう安定ぶりを示すが、いつまでも野性の輝きを失わず、その上にいぶし銀の光沢すら身にまとい始めている。 たとえば、20世紀の挿話のひとつとしてバブル時代の彼女とヒモの馬鹿カップルを笑うシーンがあるが、初演で女優(坂野多美)が演じた役名(歌子)もそのままに今回は男優(山下)が演じる。同性愛カップルとも取れる構図が作品の重層感を増す。初演は、01年4月、会場は今はなきスペースゼロ。初演で美術プランのみだった柴田が、今回全面的に建て込む美術装置のち密さに圧倒される。(柴田は公演時期が重なるスクエア「打つ手なし」でも暗転時の盆回しで警察取調室とラジオ局DJブースが切替わる驚異の美術を手がけ、完璧な掛け持ち同時進行ぶりで驚かせる)。劇団の音響をずっと手がけていたヨシモトシンヤに代わり、金子を起用したのも作品の雰囲気を大きく変化させている。打ち込みを多用した初演は心臓の鼓動に似たパルス音で不安を増幅させたが、再演は重奏でドラマチックに盛り上げる。 初演は21世紀に入ってすぐ。空から大王が降臨することもなく新世紀に突入したことを素直に喜んでいいのか、ますます混沌とした世界に希望は本当に開けるのか。作品から当時の期待と不安が色濃く匂う。確かに、ほぼ3年を経た今も不況から完全には脱せず、相変わらずテロと戦争の後始末に手を焼いている。 物語は、過去の遺物とみなされ廃棄されたはずのカセットテープが21世紀に再生され、封じ込められた過去が甦ることから始まる。捨てるに捨てられなかったひとりの女(出口)の未練が、自分の物語を語ってはいけない禁忌を破る。記録されていたひとり言が夢の世界を飛び出し、現実を侵食し始める。 アンデルセン童話でおなじみの一本足の兵隊の悲劇が、現実の戦争に重なる。そして、どうやら滅んでしまったらしい別の近未来世界にたどり着く。けっして口に出してはいけない童話とは、滅んだ異次元の現実のこと。色を失った町の夜明けに立つ残された2人(早川、吉川)。彼らは世界の終末を見届けているのか。それとも、滅んだ世界に昇る太陽を見ているか。それならば、彼らは新しいアダムとイブ、新しい童話を語るべく生き残った2人。言霊は不幸を招くが、祈る言葉がときに願いをかなえさせることもある。悲劇を繰り返さない新しい言葉を見つける世界に2人は旅立つ。それが不幸な現実に許された童話のささやかなハッピーエンドと信じたい。
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