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パフォーマー
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会場
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公演日
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不満足から僅かな満足へ |
平加屋吉右ヱ門 |
ビデオがこれほど普及する前、二番館と呼ばれる多くの映画館が存在した。名画座とも呼ばれた。この映画館はロードショーを上映する配給会社が所有する大きな劇場とは違い、多くは客席数も少なく、古びており独特な匂いが漂っていた。すでにロードショーを終えた「雨が降っている」名画を2本立て3本立てで、上映していた。70年代には東京地区では有名な映画はいつも何処かで行なわれていた。雑誌「ぴあ」では題名の索引があり、現在ビデオ店で昔の作品を探すように見たい映画を上演している映画館を探したものだった。京浜映画、鶴見文化、武蔵野推理劇場、横浜日劇、白鳥座。 ロビーにかけられたポスター、今は亡き俳優たちの写真、70年代の映画音楽と、セピア色の光は舞台全体を包む。開演を待つ間に、昔よく行ったあの映画館のロビーの片隅にいるような気分になっていた。そこへ入れ替わり立ち替わり映画館の外の街から現れる人々。始めは何の変哲もない寂れた町の住人たち。のんきな会話が交わされる。しかし、それぞれにとっては重大な問題を背負っている。観客たちは偶然居合わせたロビーで彼らの会話を聞いているような気分にさせられる。 市議会の選挙に次点で落選した男。選挙応援が過ぎて夫と不仲になった女。婚約したとたんに妊娠に気がついた女と、それに気がつかない鈍感なフィアンセ。この映画館自体赤字経営の為に今日の「2001年宇宙の旅」と「蛍の墓」で幕を下ろす。おまけにその場所はカラオケ屋に改装される。そのことが映写技師の祖父は気に入らない。 登場人物はすべて現状に不満を持って暮らしている。一人一人の不満はいわば個人的レベル。しかしこのロビーの中にはこの普通の不満感が満ちている。セピア色に包まれた映画館がこの登場人物たちの気持ちを写している。そのうちに次々に起こる事態はどれも悪い予感ばかり。人生は小さな不満足の連続から出来あがっているのか。 レポーターの女性の下半身が実は機械であることが分かり、舞台の空気は一変する。フィアンセたちの仲人が交通事故で危篤に陥る。トップ当選した市議会議員だ。次点の男はふと最悪の事態を想像し、ほくそ笑む。 次点の男はこの映画館が入っているビルで開業する在日朝鮮人の女性の歯科医に痛み始めた虫歯を見てもらう。アーンと大口を開ける男にこの医者はさらに大きな口を開くことを要求する。男のお腹の中まで見るかのように覗き込む女。今はこの男のお腹には見られて困るものは何一つない。観客も一緒になって男の口の中を覗き込む。 人々は閉塞状態の中でも不満を持ちながらもわずかな希望を持つことでそれを解消していく。「それが生活というもの」「取り戻せない青春を巻き取る」という形で人生を精算していく。それまでの人生を否定することになるのか、肯定することなのか。どちらかは分からないが、終わらせることで次の生活に歩みを進めていける。大きなテーマだけにまだまだ先があるように思えてくる。 ノスタルジーの中でつい気を許した私は、とんでもない世界にまで、気がつかないうちにやって来てしまっていた。
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