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遊園地は、愛に満ち、夢に溢れている 栂井理依
 近鉄あやめ池遊園地が、6月6日に閉園になる。
宝塚ファミリーランド、阪神パーク、狭山遊園地——ここ数年、地元に根付いた小さな遊園地が、幾つ、閉園になっただろう。
 遊園地は、夢の世界だ。観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランド。地方に住んでいて、今の東京ディズニーランドやUSJのような巨大テーマパークに気軽に行くことができなかった私は、そうした昔ながらの乗物が紡ぎだす夢に、わくわくどきどき心を弾ませた。しかし、それは、遊園地の中だけのもの。1歩外に出れば、現実に引き戻される。楽しい時間は、あっという間に過ぎ去っていってしまう儚さ。今でも、遊園地で満面の笑みを浮かべている自分の写真を見ると、帰りの電車の中、疲れて母親の肩に頭をのせながら、寂しくて涙ぐんだことを思い出す。
 今、子どもたちの夢の世界は、インターネットやゲームに取ってかわられている。コワイなぁと思うのは、その「夢の世界」には、終わりがなく、本人の意志次第で、ずるずると際限なく続いていくこと。これって、このまま続けば、世界から儚さを感じられるヒトがいなくなってしまうことじゃないかと思ってしまう。

 劇団☆世界一団の『空飛ぶ遊園地』は、日本で3番目の遊園地「みくりや遊園」を創った御厨幸一郎と、その家族の物語だ。それは、遊園地の興亡を通じて、ひとつの家族が生まれ、崩壊し、再生していく、愛に溢れた力強い物語。

 創始者・御厨幸一郎の死後、後を継いだ長男・玉男(小松)は、遊園地の外で妻を亡くしてから、子どもたちに「遊園地の外には出てはいけない」という命令を下した。遊園地を愛し、仲良く暮らしていた家族。
 しかし、祖父の血をひき、神通力で物体を浮かすことができる三男・コータロー(工藤)が、遊園地の経営難を救うため、「超能力少年」として、TV出演をするようになってから、すべてが変わっていってしまう。夢の世界に閉じ込められていた子どもたちが、その世界から出たとき、さまざまな哀しい事件が起こるのだ。そして、それは、夢の世界を出てから、うまく人とコミュニケーションできずにいる今の子どもたちをも思い起こさせる。

 コータローが恋心を抱く長女・サキ(椎原)は、歌手になるために家を出て、長男・コペンハーゲン(平林)も写真家になるために、うだつのあがらない遊園地を去ることを決心する。そして、生まれたときから眠り続ける三女(双子の姉)・レフトの看病に疲れた四女・ライト(年清)は、自分が一番大切にしていたメリーゴーランドに火をつける。離散しはじめた家族に不満を抱きながら、お金のことを考えると、何も言えない父親・玉男。
 そしてある日、サキが騙されてレイプされたことを知ったコータローは、その男を殺してしまう。こうして遊園地は閉園に追いこまれた—。

 物語は、刑務所から出てきたコータローが、玉男が死んだと偽り、遊園地再生を呼びかけるため、ばらばらになっていた兄弟姉妹を召集するところから始まり、家族が抱える過去の傷が徐々に明らかになっていく。

 「遊園地に興味がないっていうのは、家族に興味がないってこと。みんな、家族より大事なものができたのよ」と、サキは言う。
 家族もまた、夢の世界にあるものなのかもしれない。人は、ひとつの家族で育ち、そこを旅立ち、新しい家族を自ら創っていくものだから。

 しかし、コータローは諦めなかった。神通力をネタに、その日暮らしをしていた祖父・幸太郎が、祖母という守るべき大切な人に出逢い、つくった「みくりや遊園」。不器用ながらも子どもたちを精一杯愛した父親が、再生を願った「みくりや遊園」。それは、愛が紡いだ夢の世界なのだ。そんなコータローの熱意に、次々と奇跡が起こっていく。そして、遊園地再生にみんなで取り組むばかりでなく、それぞれが、自分の立っている場所、進むべき道を見つけ出すのだ。

 そして、物語は幸太郎のこんな言葉で締めくくられる。「人生は観覧車である。上昇と下降を繰り返すものである。だから、僕たちは、あきらめずに、前に進んでいかなければいけない。」と。
 そう、遊園地は確かに夢の世界だが、短く儚い人生もまた遊園地のようなものなのかもしれない。そして、それだけに愛に満ち、夢に溢れるものにしなければいけないんだ、きっと。

 遊園地を模した舞台美術、照明、そしてその効果を最大限に引き出した演出が、素晴らしい。特に、劇中、使用されるフラフープは、時に自動車、鏡、乗物など現実の物体、時に現実と過去の境、時に現実と超現実の世界との境、時に遊園地を喚起させるカラフルでポップなイメージと、姿を変える。
 終盤、ライトが、目を覚ましたレフトを探しに、マンホールへ潜っていく場面。個性的な姉妹姉妹に囲まれ、自分を殺してレフトの看病に励んで疲れたあげく、最後にはレフトを見捨てて逃げ出したライト。メリーゴーランドを燃やしてしまうように、大切なものを想う気持ちが表現できず、ウソばかりついてきた過去の切ない想いが、闇の中に、光る赤い輪となって、浮かびあがり、ライトはそれらをくぐりぬけていく。おとなしいライトの心の悲鳴、そして本当は家族をとても愛している、それを表現して生きたいという願いが痛い。

 また、谷川俊太郎のナレーションが抜群だ。口に出した傍から、耳にした傍から、消えてしまう言葉というもの。それは、口にした者と耳にした者との間に、概念として残るだけで、ひょっとしたら何も共有できていないかもしれない。そんな言葉の曖昧さ、切なさを知り尽くしている詩人・谷川の乾いた語り口は、100年にもわたって遊園地に生きる家族の物語を、世界の広さ、深みを伝える叙情詩であるかのように感じさせる。

 そして、演劇もまた、遊園地のようなものだ。物語を彩るカラフルな舞台装置、どこか懐かしい音楽、フラフープ、ダンス、ウォールペインティング、朗読、そして役者たちの気のきいた台詞に上質のユーモア。様々な要素で楽しませてくれる舞台は、いろんな乗物がある遊園地だ。観る者に、現実を忘れ、一瞬の夢を与えてくれる。
 この遊園地も、なくしてはならない。


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