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きしむおとをきくために 松岡永子
 舞台にはきもの姿の女性たち。
 小正月過ぎ、高校時代の連絡網を使って集合がかかった。
「きものを着て、手元にあるお金を掻き集めて、集合!」
 急なプチ同窓会。クラスメイトだった6人が集まる。20代半ばにさしかかっている彼女たちのうち、卒業しても地元にいてすぐ連絡がついたのはそれだけだったのだ。みんなそれぞれの生活がある。銀行員、少女小説家、幼稚園教諭、ピアノ教師、ヤンママで極道の妻…
 集合を呼びかけたのは極道の妻だった。
銀行強盗をした亭主が奪った金を私に預けて逃げている。その3000万円+みんなの持ち金を賭けて、朝まで大バクチ大会をやろう。
 いろいろ言いながら、みんな話にのる。結局、みんな友達なのだ。
 その一夜のお話。

トランプ、さいころ、カルタ、花札…その中で見え隠れする、学生時代からのできごと、人間関係。
 昔も今も友達と自分を比較せずにはいられない者。
 震災後、神戸の町を見捨てるように転校して来たとこだわりを持つ者。
 その転校生に親友を取られたと傷ついている者。
 幼稚園児の娘を「彼女」と呼び、対等な関係しか持てない母親。
いろいろなわだかまりがあり、感傷があって、でも結局みんな友達なのだ。

 そして、朝。
 想いが素直に語られるのは、最後に残ったふたりが花びら(作品的には雪かとも思うが、私には花びらに見えた)を浴びながら話す場面。
 私はさびしかった、今もさびしい。私も。いつか、こんなさびしさがなくなるときが来るのだろうか。うん、いつか、きっと…
 なにもなにも、いつも手遅れ。間にあわない。さびしさの原因がわかったときにはそれは遠くに行き去っていて、取り返しはつかない。今も。どうすればよかったかわかるのは取り返しがつかなくなってからだ。

 そういう感覚は、わかる。
 思春期の、心の皮膚が薄く傷つきやすかったころはヒリヒリわかった。
多少なりとも皮が厚くなって鈍感になってからでも、やり過ごすことが上手くなっただけで本質的には何も変わっていないのだ。
 しかし、これをいうのに、あまりに作為的な「お話」は効果的だろうか。もちろんストーリーだけが物語を構成するわけではないが。

 耳を澄まして聴き取るようなきもちを描くとき、騒がしい状況(舞台上の騒がしさ・はしゃぎっぷりのことではない)は邪魔になる気がする。

 ただし、この設定によってきものを着せたのは効果的。
 いいよねえ、若いきれいどころがたくさんいるっていうのは。単純に、いい。
見た目にきれい。舞台というのは目の保養の場でもある。大振り袖を着ていたのはひとりだけだったが、もうひとりくらいいてもよかったなあ。振り袖の似合うぎりぎりの年齢なんだから。


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