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メビウスのように連続する現実と劇 |
西尾雅 |
従来のクロムの印象は例えばエロ、馬鹿、ナンセンス、暴力、メタリック、近未来。その持味と開幕直前に流す「時計じかけのオレンジ」のサントラが、新感線のジューダス・プリースト「ディフェンダー」以上に似合ってた。なのに今回、開演前の客席に響いたのは意表をつく枝雀の「代書屋」。つかみのくすぐりに大受けする客の笑い声が、開幕前の静けさとミスマッチで居心地悪い。そもそも物語自体より、ブラックジョークやアートフルな照明や装置こそクロムの見せ場。独特の美意識にシュールなギャグをまぶし、韜晦の海に観客を迷わすのが常套。開演前の落語に緊張がほぐれるどころか逆に身構える。 が、落語ライブ音は主人公の女子高生(奥田)がヘッドホンで聞くウォークマンというオチがついて開演、劇に移行する。恋愛も自殺も失敗し、笑いを忘れた彼女を慰めるため劇団を結成した同じ高校の卒業仲間。落語も笑えぬほど落ち込んだ彼女が、別の人格を演じて立ち直ろうとする。演劇の動機などしょせん不純と劇団のアイデンティテイを自嘲する。 クロムの屈折は自身に向かうだけでなく表現の規制もおちょくる。旗揚げ作品が現実の事件に似過ぎと劇場から規制されれば、戦争を痴話喧嘩にすり替え、銃をおもちゃといいくるめる。規制で済まそうとする社会への反発と、すぐにおもねる表現者の自戒が混ざる。 表現とは、けっして大上段に構えるものではない。劇団を始めた動機など軽いものとうそぶく。他人を演じるはずの彼女たちは上演テーマに困り、結局自分たちの劇団結成の顛末そのものを舞台にのせる。劇は現実の雛型に過ぎない。とでも言いたげな、それもまたクロム一流の皮肉と軽口。が、額面どおりに受け取るべきか一筋縄でいかないのもまたクロム。現実と劇はメビウスの輪のようにねじれに見える永遠の連続に過ぎないのだから。 劇中の現実世界では銃乱射事件が起き、それに触発されて銃殺とテロが頻発する。女子高生が失恋の腹いせに願い、脚本化したことが現実に起きる。彼女は真犯人ではないが、彼女の欲望が残虐な事件となって現実化する。欲望が現実を先取りし、仮想と現実の境目をなくす。殺人やテロを行うのは私たち同じ人間だから、誰もが加害者になる可能性を持つ。オモチャの銃がいつ本物にすり替わってもおかしくはない。だからこそクロムは舞台上でことさら安っぽくオモチャの銃を振り回し、みずから道化を演じて見せる。まるで現実を嘲うことで現実に取り込まれまいとするかのように。
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