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+ 小島剛(こじまたかし)

大阪在住の音楽家。主にmacintoshとプログラミングソフトmaxを使って即興音楽を中心に国内外で活動中。

+ 塙狼星(はなわろうせい)

1963年生まれ。人類学を専門とするアフリカニスト。中部アフリカの旧ザイール、コンゴ、カメルーンが主なフィールド。アフリカの踊りと音楽をこよなく愛する。

Aug 2003 8:41AM from 塙 狼星  部族

前半の冷夏を裏切る猛烈な残暑を大阪で乗り切るのは大変ですね。すっかり夏バテです。京都や大阪の町屋のような伝統家屋を復活させることが、エネルギー対策だけでなく、猛暑を乗り切り、街中に住む人間に季節感を回復させる最前の方法ではと、熱帯夜にしばしば考えております。空堀の近くに住みながらも町屋に入れなかったのが、いまさらながら口惜しい。小島さんのおうちは、古い木造家屋ですよね。
どうですか?

以前のメールで、現在のアフリカの人たちの暮らしぶりについて、ご質問を受けましたね。また、フランスのデモ&スト事情についてもレポートを送っていただきました。

>まずは、前者について。「氏のメールで書かれていたことですが、現在もアフリカで
>は資本主義経済が機能しながらも伝統的な社会規範の中で生活している地域があると
>は非常に興味深いポイントだと思います。それに関連して、幾つか中央アフリカの特
>徴についてお聞きしたいのですが、中央アフリカの国家って、旧宗主国の都合で、国
>家の領土が形成されてしまったので、ほとんどその特徴って国家単位ではなく、部族
>単位で表現されることが適当なのかなとも思いますが、それを承知の上で、旧ザイー
>ル、コンゴ、カメルーンなど長期滞在された国々のおおざっぱな特徴(特に人々の生
>活の様子や性格みたいなモノ?お国柄?)の違いがあれば教えてください。また、そ
>ういうお国柄的なトピックスがあれば教えてください。(最近コンゴ上空で飛行中の
>飛行機の扉が開いて、百数十人が空から落ちたという「ほんまかいな!」的事件が起き
>ましたが、あれって僕らからすると、なんかアフリカ的だなあとも思ってしまうので
>すが・・・。)」

アフリカにおける「国家」と「部族」の問題は、アフリカ研究の中でも古くから焦点を当てられてきました。また、90年代では、日本でも多くの議論がなされました。その中心テーマは、未開、野蛮、先進国に対する後進国というような、ネガティブなイメージをもつ「部族」という言葉を、近現代のアフリカに無意識に適用することは、南北の構造を基礎とした差別的な認識ではないのか、という批判です。例えば、日本を含むアジアの民族やアメリカの移民コミュニティに対しては、「民族」という言葉を用いるのに、アフリカはいつまでたっても「部族社会」。また、この言葉は、アフリカの報道においては、大抵、「部族対立」という排他的攻撃的な文脈において使われる傾向があります。だから、極端にいうと、「アフリカの人は、いつも槍をもって戦争ばかりする」というようなイメージ。ところが、アフリカの国に行ってみたらわかるのですが、東アフリカ・ケニアのナイロビや中部アフリカ・旧ザイールのキンシャサなど、アフリカには、われわれと同じ西欧文明の影響をうけた都市の文化が発達しています。また、歴史的には、ティンブクトゥやダルエス・サラームといった伝統都市もあります。他方、部族という言葉自体が、極めて曖昧な概念であるばかりでなく、19世紀末、植民地政府の統治上の理由から便宜的に採用された社会単位でもあります。日本の江戸時代と同じく、中央集権化する際に、為政者に都合の良い「名づけ」が行われたわけです。現代では、状況が複雑化し、アフリカの人々が権力闘争を行う際の政治戦略として利用されている、との指摘もあります。1994年に起こった、中央アフリカ・ルワンダの100万人を越えるジェノサイドが良い例で、フツによるツチという「部族」の虐殺が行われたのですが、混血が進んでいたため、母方がツチである場合や、IDの表記!に従って自分の「部族」が判断されたといいます。

ここで、少し、人類学のお話し。「部族」という言葉は、狭義には、クランという単系血縁を軸とする地域的な集団を指します。クランというのは、リネージという実体的な単系血縁に対して、仮想的な血縁(先祖が同じ)で、しばしば、外婚の単位、日常生活や儀礼上の共同の単位としての働きをもっており、アフリカの人々にとっての主要な社会的なアイデンティティの源泉にもなっています。しかし、同時に、実生活において、彼らは個人(の表現)をとても大切にするし、クランへの帰属は変更可能だし、クランは外婚によって他のクランと親族ネットワークを広げるし、部族には主要クラン以外の多様なクランが含まれます。このような社会的帰属の融通無碍さに注目した社会学者は、「着脱可能なアイデンティティ」や「重層的なアイデンティティ」という言葉で、アフリカの文化を表現しています。ぼくが言いたいのは、アフリカは、部族という排他的なイメージで語るよりも、もっと緩やかで開かれたイメージで語る方が良いということです。植民地化以降、特に現代において前述したような「部族的状況」が存在するのも事実ですが、アフリカの基層文化の真骨頂は、<身体>に立脚した柔軟性だと思います。音楽や踊りという表現に端的に現れているように。だから、「部族」という言葉狩りをしても意味はないけど、かなり慎重に使う必要はありそうです。でも、最近では、"tribe"というタイトルの写真集に表れているように、「部族」のもつ、土着的原初的なイメージを逆手にとる人もでてきました。

今回は、部族の話でおわってしまいました。「国家」について、旧ザイール、コンゴ、カメルーンのお国柄について、また、フランスのスト文化についてのお返事は改めて。

とりあえず。

はなわ

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