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Sept
2003 1:12AM from 塙 狼星 国家と身体 |
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小島 さま
一度書いたメールが送信途中に消えてしまったようなので、書き直します。やれやれ。
先日いただいたメールの書き出しで、木造家屋の暑熱の中に響く冷蔵庫の音のお話がありましたが、それを読んで、大阪に引っ越して初めて「大阪の音」を意識しました。五年前、京都の銀閣寺の近辺に住んでいた頃は、近くに森があり、虫、鳥、風や雨の音に耳を澄ましていたことを思い出しました。大阪に居を構えて、コンクリートでできた人工的な世界に取り囲まれたときに、音との関わりが一旦とぎれてしまっていたんだな、とあらためて感じます。小島さんが現在企画されている、鈴木昭男さんを招いた「Sound
Art Lab 2003」は、まさに身の回りの〈音〉がテーマですよね。大阪という街からどのような音が生み出されるのか、とても興味があります。
さて、今回は「部族」のお話の続きとして、アフリカの「国家」について、個人的な視点から少し考えてみたいと思います。部族というのを、親族関係に基礎をおき、系譜観念でまとまったゆるやかな地域集団とすれば、国家というのは部族以降に形成された中央集権的な政治組織と言えます。アフリカの国家は、伝統国家である王国と近代国家である国民国家の二つに分けられますが、現在みられるものはすべて国民国家であり、基本的に日本と変わりません。サハラ以南のアフリカでは、7〜8世紀頃には王国が形成されていたようですが、王制がエジプトからの伝播によるものか、内発的に発明されたかについては議論の分かれるところです。中部アフリカの場合、ポルトガル人が15世紀末に初めて到来したとき、コンゴ川下流部には既にコンゴ王国が存在しました。その後、ヨーロッパ人による奴隷交易の発達、19世紀末のベルリン会議と植民地分割、第二次大戦以後のナショナリズムの高揚。コンゴ民主共和国(旧ザイール)、コンゴ共和国が宗主国のベルギー、フランスから独立したのは「アフリカの年」である1960年です。
70年代以降のアフリカでは、政治・経済の破綻と世銀や債権国からの外圧により市場経済化と民主化が急速に進行し、このような動きは、ソビエト崩壊に伴う冷戦終結により加速されました。旧ザイールでは、90年代に入り、モブツ独裁体制への猛烈な反発と暴動が各地で相次ぎ、1997年には、ルワンダやウガンダの支援を受けたローラン・カビラが武力でモブツ政権を打倒し、コンゴ民主共和国と国名を変更しました。その後、カビラ政権とルワンダとの関係が悪化して、1998年以降戦争状態に突入し、東部の諸州がルワンダに占領されました。1994年のルワンダのジェノサイドでは100万人以上が殺されたといいますが、コンゴ民主共和国では、98年以来200万人以上が犠牲になったと推定されています。コンゴ共和国では、民主的選挙で選ばれたリスバ大統領へと政権が平和的に移行したものの、その後、野党のベルナール・コレラ派、前大統領のデニス・サソンゲソ派との間で内戦となり、首都ブラザビルは戦禍と略奪で徹底的に破壊されました。
中部アフリカの地域紛争や内戦は、旧宗主国の覇権主義、石油や金属などの天然資源を巡る利権争い、政治勢力間の権力闘争、「部族」対立、小火器の流入などが複雑に絡み合っており、出口の見えにくいものです。現在、コンゴ共和国は、政治情勢が回復しつつありますが、コンゴ民主共和国(旧ザイール)の方は、依然として東部がルワンダの占領下におかれ、人権の抑圧や侵害が頻発しています。モブツ政権を転覆させたカビラ大統領は、2001年に官邸で暗殺され、息子のジョゼフ・カビラ氏が、大統領に就任しました。ジョゼフ・カビラは親米派で、治安維持に尽力し、2002年にルワンダとの間で停戦合意が調印されました。しかし、予断を許さないのが現状です。激動の90年代に人類学調査をしていたぼくにとって、中部アフリカは、自然と人間が共生している世界である反面、資源と権力の独占を目的とした暴力に満ちた世界にもみえました。「未開=野蛮」という紋切り型の構図がありますが、アフリカにおける「野蛮」は、植民地化から独裁型の国家建設に至る「近代」の中にこそありそうです。ソフトな共同体とハードな国家の同居が、今日の中部アフリカの特徴でしょうか。しかし、そもそもソフトな国家というものがありえるのか・・・。
はなわ
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