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+ 山下里加
+ 細馬宏道(ほそまひろみち)
1960年西宮生まれ。滋賀県立大学人間文化学部講師。
会話とジェスチャー解析を中心としたコミュニケーション研究のほか、パノラマ、絵葉書、幻灯などの視覚メディアに関心をよせている。
主な著書に『浅草十二階』(青土社)、『ステレオ』(ペヨトル工房、共著)。訳書にリーブス、ナス『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』(翔泳社)。
WWW版『浅草十二階計画』:
http://www.12kai.com/
親指記:
http://www.12kai.com/oyayubi.html
e-mail: mag01532@nifty.com
7/6(日) 10:13PM from山下 猫道を抜けて、うっかりもれもれ。

さっそくのお返事ありがとうです。

>  はい、細馬です。
はい、山下です。
うーん、確かにはずかしいですわな。
あ、編集部から、ゲストのプロフィールを入れてくださいね。と言われました。
細馬さん、自己紹介してくださいな。

>  たとえば、覗いてる人の背中ってすごい無防備なんですよ。
>  こういうのをぼくは「もれ」と呼んでます。背中をさらしてる人はただ覗き穴を覗い
> てあっちの世界にいってるだけで、別にこっちの世界に背中をさらすつ
> もりじゃない。でもこっちの世界から見ると、その背中は、あっちの世界にいってるそ
> の人をこっちの世界にありありと「もらしている」。

ああ! そうそう。すんごくマヌケ。
神戸市立美術館で『ヴィクトリアン・ヌード』展てのがあったのですよ。
厳格だったはずの19世紀イギリスで、けっこうヌードが描かれていたという展覧会。
でね、その展示物のひとつに、当時の流行だった超短編映画を覗き窓から見る、というコーナーがあったんです。私も覗きましたが、後からふとふり返ると、覗いている人達の姿ってなんだか間抜けで、かつ“後ろめたさ”がじわ〜んとにじんでいたりして。。。
映画の内容も、男性が女性の着替えを覗いているみたいなもので、二重に覗いていることになって、後ろめたさも倍増。後ろめたいくせに、なぜか背中を“もれ”さしちゃうんですよね。

美術の世界に長く慣れていると、“目”だけで見ているような気になってしまいます。
たとえば、展覧会のカタログでも、アーティスト自作の作品ファイルでも、ほとんどの場合、「作品」だけしか写っていない。観客の姿や視線は、きれいに排除されている。建築写真もそうですね。住んでいる人、働いている人の姿は写っていない。
私が現代美術というものを知った時から(十ン年前だわん)ファイルには作品以外のものが写っていなかったので、すっかりそういう“目”になっていたんですわな。

カタログや作品写真だけじゃなくて、実際の作品を見る時も、目だけが切り離されて、ぐるぐると作品の前で旋回しているような、そんな見方をしていたように思う。
見ている目に、背中とお尻と足の裏が、つらつらと、だらだらとつながっていることを忘れてしまう。もらしちゃう。
作品の力でもらしちゃう経験は快楽なんですが、美術作品だからってんで目だけで見ようとしている時は、疲れてしまいます。

ところで、「写真」も、よく“もれ”を起こしますね。
プロが撮った写真は、もうそれだけの情報しかないけれど、素人が家族と旅行に行った時の写真って、はしばしに変なものが写り込んでいる。
この前、神戸アートビレッジセンターで新開地に遊郭があった頃の、花魁道中の写真を見たのですが、ど真ん中で写っている花魁より、周囲の食い入るように見ている大勢の人達の顔つきにびっくりしてしまいました。花魁というものが、庶民にとってどういう存在だったのか、今のベッカムよりすごいもんだったのかもしれない。
そう思った時、花魁がものすごい実感を持ってきたんですよ。
絵から抜けだして、肉厚の女になった感じ。

>  山下さんに誘われて見始めた文楽ですが、いやあ、いろいろ考えることが多いですね
> 。最近は文楽の浮世絵まで買うようになってしまいました(財布が軽く
> なる・・・)。

『妹背山』ですね! キャー素敵。絶対、見せてくださいね。
なんだか文楽の舞台装置って、仕掛けは単純だけど、発想が大胆不敵かつ無茶なことをします。この前、東京で見た『加賀見山旧錦絵』では、増水した川に男が飛び込み、泳ぎながら馬に乗った人を殺すという場面がありました。わざわざ人形を泳がせなくても……と思うのに、やっちまうんですよね。

> 大夫がうううと泣き声をはりあげると、やはりその顔を見ずにはいられ
> ないし、見てみると、顔まで泣き面になっておられる。三味線が鋭いバチを入れる。し
> かしそうやって大夫に目がいったり三味線の手に目がいっているとき
> は、人形はおろそかになる。
>
>  ぼくはまだ、三度しか文楽を見てませんが、まだ見所が定まりません。よそに目がい
> っているときに観客からどっと拍手が来て、しまったと思って人形を見
> ると、もうそのあざやかな所作が終わっている、なんてことがあります。文楽を見てる
> 人って、この辺の悩ましさをどう解決してるんでしょうか。

そうそう。悩ましいんですよ、文楽って。
見尽くせない。まだ、見ていないところ、見えていないところがあるように思う。ちょっと退屈だったり、つまらないと思っても、「いや、もしかしたら、私が見逃したいいところがあったのかも」と思わせる。
恋愛のテクニックですよ。

>  「蒲団」もそうですし、「第二軍従征日記」のような従軍日記や「東京震災記」のよ
> うなルポルタージュもそうなんですが、花袋の考え方は、何かきついこ
> とに会うたびにぶれてしまう傾向があるように思います。しかし、ぶれが文章にもれて
> しまうという点では、よい書き手だったんじゃないかと思います。

花袋は、うっかり犯だったのかー。
私もぶれぶれ、もれもれで、どないしょ、と思うことしばしばだけど、何やら慰められました。

ん、これ、お返事になったのかな。
ところで、親指記を読んでいると、細馬さん、畑仕事をしているのですか?

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