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+ 山下里加
+ 細馬宏道(ほそまひろみち)
1960年西宮生まれ。滋賀県立大学人間文化学部講師。
会話とジェスチャー解析を中心としたコミュニケーション研究のほか、パノラマ、絵葉書、幻灯などの視覚メディアに関心をよせている。
主な著書に『浅草十二階』(青土社)、『ステレオ』(ペヨトル工房、共著)。訳書にリーブス、ナス『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』(翔泳社)。
WWW版『浅草十二階計画』:
http://www.12kai.com/
親指記:
http://www.12kai.com/oyayubi.html
e-mail: mag01532@nifty.com
8/20(水) 1:53AM from山下 それでもうちの猫が一番

山下です。

お便り、ありがと。
ヨーロッパに行かれるまでのお遊びとして、これまでの流れをまったく無視した「閑話休題」をしますね。
胃が激痛におそわれるという経験をしました。いえ、今も進行中です。
いや、もう、ホントに、“過激な痛み”なんですよ、これが。
私は、かつて料理雑誌のライターとして1日に4回カレーを食べるとか、韓国料理3軒ハシゴなんてのを平気でやっていたので、私の自分の胃に対する信頼はもう絶対的なものがあったんです。それが、何の前触れもなく、裏切られてしまったのです。

気づいたのは、15日金曜日の朝。あれ? なんか胃が重い。昨日の韓国料理店での飲み会で、食べ過ぎたのかな、程度に思っていました。それがまあ、じわんじわんと胃をしめつけはじめたんです。
それでも、手持ちの薬を飲めば収まっていたので、まあ、明日になれば治っているさ、と軽く考えていたのです。
それが、日を重ねるにつれ、どんどんひどくなり、日曜の夜には寝るのも起きるのも困難な状況に陥ってしまったのです。その段階になってようやく、「これは、なんかおかしい」と思うようになったのでした。

とうとう月曜日の朝一番に病院に駆け込み、急患として診察、レントゲン、エコーを受けて、4時間点滴を受けて、よれよれになって帰ってきたのでした。今週金曜日には、胃カメラを飲まなくてはなりませぬ。

 

私は、今年初めに交通事故で右肩骨にヒビが入ったりして、なにやら事故・病気が多いのですが、なんかそういうことをするたびに、不思議な感じになるのです。
自分の身体の構造というか、システムを知らされる感じ。
肩の時は、自分の身体は、棒(骨)と滑車(関節)とゴム(筋肉)で出来ているんだなーって思っていたのです。
今回、内臓系の痛みを知って、これは外科系の痛みとは全然、種類が違う!!!って思ったのです。

胃が痛い身体というのは、「私じゃない」と言いたい、主張したい感じ。
実際、痛み止めの薬を飲むとすーっと痛みは消えて、そのとたん、「あ〜これで、私自身に戻れた」って思うのです。胃が痛い間の私と痛くない私は、どこかストンと次元が切れている感じになるのです。

骨折の時は、痛みを和らげる湿布薬ぐらいしかなかったし、なにより自分の腕の動かし方によって痛みがくるので、骨が痛い身体というのは「私自身の一部」という気持ちを持てたんです。
でも、”胃の痛み”というのはまったくコントロールできない。
「おっと、この動きはあぶないな。気をつけよう」(肩の場合)
「ああ〜きたきた。。。。うう、ものが考えられない。。。。くうう、薬飲もう、はい、おかえり私」(胃の場合)
これって、全然、違う痛みなんですよ。

「私じゃない私がいる」という感覚は、すごく不思議。
今日、あるアーティストとお話していて「朝、起きるたびに、なぜこの身体なんだろうと思う。自分の身体に違和感がある」と聞いてびっくりしたし、そんな気持ちは私には分かりえないと思ったのだけれど、「胃の痛い私」と「私」の遊離した感じと通じるものかもしれない。この身体の器に、なぜいなくてはいけないのか、って思う。

他の人達は、「痛み」ってどんな風に感じているのでしょうね。。。ってこんなことを考える私が変なのか? 「痛み」は「痛み」以外の何者でもないわな。

いや、もう、めったにない経験なので(今後、何度もあってほしくないし)、思わず勢いにまかせて書いてみました。
ちゃんとしたお返事は、また書きますね(細馬さんの「痛み」経験も聞きたいけど)。

細馬さん、ヨーロッパ旅行は痛い目に遭わないよう気をつけてくださいね。てへへ。
ところで、旅行中は、交換日記は日本語で? それともローマ字で?

ああ、そろそろ薬が切れてきて、じくじく痛みが。。。私が消えていく。。。。

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