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+ 山下里加
+ 細馬宏道(ほそまひろみち)
1960年西宮生まれ。滋賀県立大学人間文化学部講師。
会話とジェスチャー解析を中心としたコミュニケーション研究のほか、パノラマ、絵葉書、幻灯などの視覚メディアに関心をよせている。
主な著書に『浅草十二階』(青土社)、『ステレオ』(ペヨトル工房、共著)。訳書にリーブス、ナス『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』(翔泳社)。
WWW版『浅草十二階計画』:
http://www.12kai.com/
親指記:
http://www.12kai.com/oyayubi.html
e-mail: mag01532@nifty.com
8/20(水) 11:54AM from細馬 手の届かぬところに座ってにゃあにゃあ鳴くのはやめなさい。

あれあれ、胃痛お大事に。

ぼくは二十歳代のときに胃痛で苦しみましたが、最近はわりと収まっています。
そのかわり・・・

自分の身体のようで自分でない・・・というと、あの話をせねばなるまい。
じつは痔持ちなんです、わたし。

よくスポーツ選手が、「右肩に違和感を訴えて」てな具合に、「違和感」ということばで故障部分を表現しますが(この前スポーツ紙に「違和感てなんや、あんなもん昔はなかったけどな、江川以来か」という星野監督の談話が載ってました)
痔というのはこの違和感のカタマリのようなものでして、特に痔核というものができると、いつも尻に豆を敷いているような奇妙な気分になります。
豆なら取ればいいのですが、この豆は常にわたくしにくっついてくる。

この豆は、じくじくと持続的でいやらしい疼痛をもたらします。
そしてこれが括約筋の調節にある種の変調をもたらすのです。

痛みをやわらげるべく括約筋を動かす。動かすのはいいのだが、その結果括約筋がゆるんだりする。ゆるむといろいろモレてくるので困ります。

そもそも括約筋は、「開ける/閉める」という単純作業をモットーとしております。しかし、痔になると、この単純作業が「閉まってるけど痛みを和らげている」という複雑な陰影を帯びてくるのです。括約筋にこのようなブンガク的なややこしい作業を理解してもらうのは大変ですが、次第に彼なりに、痛みの軽減と扉の開閉という二つのベクトルを区別してくれるようになります。

ぼくはこの豆のおかげでついに歩けなくなったことがあって、そのときすっぱり切除してもらいましたが、それで完治したわけではなく、相変わらずじくじくといやらしい疼痛に悩まされております。いやほんとに痔は長い友達です。

そういう友達をいつも尻に敷いていると、そこから背骨を通って他人の存在が頭をじくじくと刺激する。ぼくの書く文章にはどこかそういう変調が反映しているように思います。
と書くと、なんかエライことですが、なんか持病のある人は多かれ少なかれ、そういう「違和感」を核に仕事をしていたりするんではないでしょうか。グリーナウェイの「建築家の腹」みたいに。(ぼくはこの映画見て腹が痛くなりました)

来週には飛行機に乗らねばならないのですが、飛行機に乗るときにいちばん困るのは、長い時間座っていることで、これは痔持ちにはエコノミー症候群クラスの苦痛だったりします。とにかく通路側に座って、頻繁に立ち上がり、尻に血液をおくってやらねばなりません。ああ、思い出すだに尻がかゆくなってきた。

・・・それにしても、自分の病気の話をするのはなんと楽しいことでしょうか。

胃痛で痔といえば漱石ですが、彼の「非人情」は、もしかすると、これら胃や痔のもたらす違和感が核になっていたのかもしれません。漱石は「痔を切って入院の時」の句を詠んでいます。

秋風や屠られに行く牛の尻

EV / Hiromichi HOSOMA
http://www.12kai.com/

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