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+ 山下里加
+ 細馬宏道(ほそまひろみち)
1960年西宮生まれ。滋賀県立大学人間文化学部講師。
会話とジェスチャー解析を中心としたコミュニケーション研究のほか、パノラマ、絵葉書、幻灯などの視覚メディアに関心をよせている。
主な著書に『浅草十二階』(青土社)、『ステレオ』(ペヨトル工房、共著)。訳書にリーブス、ナス『人はなぜコンピューターを人間として扱うか』(翔泳社)。
WWW版『浅草十二階計画』:
http://www.12kai.com/
親指記:
http://www.12kai.com/oyayubi.html
e-mail: mag01532@nifty.com
9/15(月) 10:30PM from山下 手が届かないのは自分のなか

山下です。

ご心配おかけしています。
胃カメラ飲みました。ひええ〜。あんなもの、発明した人はどういう頭の持ち主だったんでしょうね。
でも、不可解なことに、カメラに撮られた自分の胃を見て(赤い洞窟に白い斑点が…多発性胃潰瘍だそうです)、「ああ、これか〜」と納得してしまったのですね。「これが私の胃なんだ」とストンと落ちついてしまったんです。
変です。
実際、実物を見たわけじゃないのに。たかだか胃カメラが撮った写真を後で医者から「これです」って言われただけなのに。
なにかの手違いで他の患者さんのと入れ替わっている可能性も100パーセントなしではないのに。
「あなたのですよ」と言われて写真を見せられるとすっと受け入れてしまう。
あんなに「痛い胃は私じゃない!」と主張していたのに、視覚で確認してしまうと「これが私なんだ」と思ってしまう。自分の身体感覚より視覚を信用してしまうなんて。変だわ。

ふと思い出したのですが、今、胎児の姿をエコー写真などで見ることが出来るでしょう。あの姿を写真で見て、母性や父性を刺激される人も多いんじゃないかしら。視覚ってちょっと恐いぐらいに、強い力を持っているのだと感じる次第です。

※※※

“視覚”といえば、円山応挙。
今、大阪市立美術博物館で大規模展が開催中ですが、logのpeopleでその設営過程をずっと取材していたのです。
面白かった! 各部屋に平面の板が積まれた状態から、板が立体になり、立ち上がり、展示ケースになり、作品が入っていく。ドキドキしました。詳しくは、pepleの和田雅弘さんを読んでくださいね。

で、取材者の特権として、本物を間近で(ガラス板なしに!)見る機会をいただいたわけです。
その時に気づいたのですが、応挙の作品は、「近づいていくとリアリティを増していくもの」と「遠ざかるにつれ、リアルになっていくもの」の2種類があるような気がするのです。

たとえば、孔雀や虎。
これらは、全体像もさることながら、羽から羽毛の一枚、毛並みから毛の一本一本まで実に細かにリアルに描かれていて、近づいていくにつれ、目がすーっと吸い込まれていくんです。ホント、一点に集中しながら見ている方が生々しい感じになるのです。

一方、雪の中の松の木などは、ごく近くで見るとチョンチョンと墨の跡があるだけなのですが、遠ざかっていくにつれ、ある地点で余白がきらきらと陽の光を反射させる雪に一変するのです。絵から離れて、ぼ〜っと意識を散漫にさせた方が、雪の中の松の空気を吸い込めるよう。

応挙の掌で目玉がコロコロ転がされて、見たいと思っていたものをそのままの姿形で見せられている感じ。
応挙の視覚トリックにはまっているのは分かりながら、それが楽しい。「ありがと! こんなに楽しませてくれて」と感謝したい。
これって、胃カメラのリアルや、爆撃を伝えるテレビのリアルとは、全然違うのですよ。たまには、“目玉”にもいい目を見せてあげないとね。

あ、細馬さんがコレクションしている“浮き絵”や、光の具合で昼夜に変わる浮世絵も、復元模型で見られますよ。
屏風もいっぱい出ています。私は、もうちょと鋭角に折ってほしかったなーと思うのですが。
大乗寺をはじめ、ふすま絵が面白い。現場そのままを再現しようという、主催者と監修者と施工屋さんの意欲に拍手。パチパチ。

※※※
ひさしぶりなので、もう少し続けます。
前々回のお便り、
> 普通の人なら、そういう思いつきの痕跡をどんどん消して、体裁を
> 整えると思うんですが、シュヴァルが「生(なま)」なのは、
> そういう痕跡を隠さないで、逆に次々と増殖させるところだと思います。
> で、増殖していくと、どこかでふっとショートカットができたりする。
> 未来が突然思わぬ過去に出る。
> 痕跡を残すことで新たな時間が生まれる。
>

これを読んで、パッと目の前が開けました。
この数年間、アウトサイダー・アート、アール・ブリュットについて、ぐだぐだと考え続けてきたました。
彼らが作るモノを考える上でのキーワードは“時間”だろうとは、なんとなく目星はついていたのです。
でも、それは、私達が所属している(縛られている?)近代の歴史の時間軸には組み込めないだろう、という美術史への位置づけうんぬんの見方で、
彼らの作るモノ自体がどういう“時間”を持っているのか、というのはイマイチ考えが浅かったのです。

そうか!

増殖がショートカットになる。
未来が過去に直結する。
痕跡を残すことで新たな時間が生まれる。。。

ドキドキしますね。こういう“時間”の現場に立ち会えるのは、本当に幸せです。

今、11月10日〜23日に開催される大阪成蹊大学のギャラリーでの展覧会を企画しているのです。
タイトルは『図鑑天国』。図鑑的に世界を把握していこうとしている人達の作品、あるいは痕跡、あるいは研究成果を集めた展覧会にしようと思っています。
小山田徹さんに会場設営をしてもらい、
伊達伸明さん、作間敏宏さんという現代アーティストと、
喜舎場盛也さん、藤野友衣さん、上里浩也さん、山本純子さんの4名のアウトサイダー・アーティストの作品を展示します。
前者3人は、沖縄在住。以下のHPで、作品が見れます。
http://www.geocities.jp/migiwa_oki/artcamp.html沖縄の

そして、国立民族学博物館から『2001年ソウルスタイル 李さん一家の素顔の暮らし』のデータベースを借りてくる、とても欲張りな企画です。

多分、未来が過去に直結する“時間”が生まれると思います。すべての作品、モノから生まれない“時間”かもしれない。だけど、その違いもまた、自分の身体で確かめてみたいのです。

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