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語る、語る、語る、自主公演への思いは一杯です

キャベツ畑の会議
 亀治郎さんは頭の本当にいい方で感心致しました。言葉足らずになってしまった質問でも、その伝えたかった真意を汲み取って、分かりやすく的確な答えをくれました。そして、テーマを持って仕事をされている。私は、碁盤の石を動かすように、今この手を打つことが、どういう波及をもたらすかを考えて仕事をする、それを理想に、それに近づきたいと思いながら、なかなか思うように出来ずにいるのですが、自分自身にきちんとテーマを課することのできる人って、それが出来ているのではと思います。

 でも、自主公演って大変です。当日の芝居でお客様に喜んで頂く、それ以外に、宣伝、券売、配役の調整、稽古の準備に、鳴物・衣装・鬘・道具・プログラムに出演者の宿泊先やら何やら・・・エトセトラ、エトセトラ、もー一杯のことを、いつもは何箇所かの部署がそれぞれ担当していることを采配して、そして芝居をするのですから・・・。金銭的にも赤字は覚悟、お金のことだけでも大変です。ですから、本当の個人の自主公演など、そうそう行われないし、行えないのだろうと思います。

 何故、亀治郎さんは今回自主公演をしようと思ったのか・・・そのお話はとても印象的でした。

 亀治郎さんの叔父さんは市川猿之助さんです。歌舞伎界のビックスター、歌舞伎を知らない人でもその名くらいは知っているというビックネームです。スーパー歌舞伎をはじめ数々の仕事を着実に実績として残して来られました。

 その猿之助さんが持つ軽井沢の広いお稽古場で、ある時、猿之助さんと亀治郎さん、二人だけがポツンと真ん中に座り話をされたそうです。

 いざそうして二人差し向かいになると、お互いが長い時間言葉が出ず、シーンとした中にシュウシュウサワサワと風の音だけが聞こえたりして、かと思うと、突然に同じタイミングでお互いがお互いの言葉を発してそして譲り合ったりして、それは、まるで広—いキャベツ畑の中にいるようで、その話し合いが亀治郎さんに自主公演を決意させたそうで、亀治郎さんはその日のその出来事を「キャベツ畑の会議」と呼んでました。

 では、キャベツ畑のどんな話が亀治郎さんに自主公演を決意させたか・・・。

お参りをする段四郎さん その願いは・・・

 亀治郎さんは、歌舞伎界の挑戦者ともいえる猿之助さんの甥、もちろん御曹司です。猿之助さんには歌舞伎界には血を分けた息子さんはいませんから、叔父と甥の絆はかなり深いものがあるのでは?と私は思っとります。澤瀉屋(おもだかや)という歌舞伎界の先駆者・猿之助さんの血を引き継いだ亀治郎さんは、慶応大学を卒業した時位から、自主公演(勉強会)をしたら?と色々な方に言われたりしたそうです。

「ですが、元来、天邪鬼(あまのじゃく)な私は、人様からそう言われるとやりたくなくなるという性分で・・・そのキャベツ畑で、叔父は私に‘私はお前が自主公演をしても何も手を貸さない。肉親の情として手を貸さないのだ。今のうちの失敗ならやり直しはきく。私は若い頃から色々苦労しながら自分に共感し協力してくれるブレーンとなってくれてる人達を大きな財産として得て、そして今日に来た。そういう人達が私を支えてくれた。しかし、その財産は私が築いてきた私の財産であってお前のものではない。お前はお前で役者としてその自分の財産(ブレーン)を築いていかなければいけないのだよ’と申しました。叔父がハッキリと手を貸さない、そう言ってくれたことで、私は自主公演への決心がついたと言えます」と亀治郎さんは話されました。

そして「この私が今着ているTシャツ、『亀治郎の会』Tシャツは京都造形芸術大学の学生さんたちが、ボランティアで作ってくれて僕にプレゼントをしてくれました。色んな方々が励ましてくれ支えてくれようとして下さる。叔父が言うように僕は僕の財産(ブレーン)を大切に作らなければなりません」とも言われました。

今の亀治郎さんは千尋の谷を駆け上がろうとする若き獅子・・・ちょっと大袈裟な言い方?でもでも、とにかく、私はこのお話に感動しまくりました。

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