建築物からウクレレを作る
* ここでもう一度説明をしておくと、「建築物ウクレレ化保存計画」というのは、造形作家伊達伸明さんが主宰している、取り壊される建築物の廃材を使ってウクレレを作り依頼者(建築物の持主)に引き渡されるというプロジェクト。(参照:
Part1
introduction)
自分のしたいことを追求していった結果ウクレレにたどりついたわけですが、最近高まりつつある環境問題やリサイクルなどの社会現象とシンクロしてますね。
そうですね。たまたまですけどね。
だいたいウクレレっていうのもまあ言ったら最近スポットがあたっているものじゃないですか。あれだけオリジナル楽器とか創ってきてて、なんで今さらありものの、下手したら癒し系などという修飾語がつきかねん楽器をわざわざ選んで作るのか?と言われたことがありました。僕も今までやったらそういう話題ものはネタにはしなかったと思うけど、それをあえて選んだのは、旧宅で作られた楽器を受け取った人の身になってみれば、どんな弾き方をしたらいいのか分らない全くオリジナルな作品をもらってもどうしたらいいか分らないんじゃないかといろいろ考えたからなんですょ。そういう意味ではウクレレが持つ独特の親しみやすさとか、間口の広さとかいうような特徴がとても大事な問題になってくるんですね。あと、日本家屋の柱などから作れるサイズというのもありますしね。
まだ使えるような建物とか壊されるのとか目の当たりにして思うことって?
「もったいないなー」とは思うけどあれはもう建物の寿命とは関係ないところで動いてる話で。僕の興味はどっちかというと、いろんな人の思惑で建物が振り回されるというドラマ自体にあるんやね。壊れるのは壊れるのでしょうがないと思っていて、やみくもに保存とか思っているわけではない。確かに木材資源的に問題はあるんだろうけど。それで新しい建物が味気ない建物やったとしてもしょうがないと思ってて。あまり悲しいとかあかんとか思わなくて。どっちかというと、逆に新素材で建った家が時間が経ってどう味わい深くなるのかなっていう方に興味がある。なりにくいだろうなあとは思うけど、ああいう建物でも時間には勝たれへんはずやから、味わいってどうしても出てくるやろう。その味わいってどんなんかなあってね。
味わい出るかな?
出る出る。絶対に出る!人が住んでんねんし。ただ、僕らがイメージする味わいとその家がボロくなった時の僕らの次の世代が感じる味わいって違う質のものかもしらんけど。
見たいからやっているわけではないけれど。家族間のいろんなドラマや背景、普段は見ない内々のことを、ものを作りながら垣間見ることの出来る立場にいるってことがおもしろい。ちょっと昔だったら庭師とか表具屋とかお家の中に入り込んで仕事をしてた人たちがそういう立場やったと思うねんけど、僕のやっていることは、そういう仕事の一つかもしれんなあと。ただ家が取り壊される時じゃないとお呼びがかからないから、葬儀屋の方が近いかな。葬儀屋もそういうドラマに深く関わっている人達やんね。(笑)まあこんなリアルな場に立ち会えるというのは始めから想定していたわけではなかったけれども、この仕事のおもしろい要素となってます。
依頼人との関係
*解説: 美術のシステム
現在、美術品の流通システムは、まず作家は自己の世界を追求するために作品を制作し、ギャラリーは有望な作家を発掘し売り出す。コレクターや美術館がそれらを買うことで成立しているアートマーケットが美術界の中心となっている。(日本では、現代美術のマーケットはまだまだ小さい規模でしかないので、中心になっているとはいいがたいが、)建築物ウクレレ化保存計画の場合は依頼者と作家の一対一の関係。既存のマーケットとは関係なく、作品の行き先は最初から決まっている。建物の持主もしくは責任者との間で成立する話で、出来上がったウクレレはギャラリー、美術館などで展示されるが、既存の流通システムにのることはない。
いわゆる現在の美術の流通システムとは相容れないシステムですが、その辺は意図的に?
別に反発で始めたわけじゃなくて、よりストレートな方法を考えたら結果的にじかにその材料に一番思い入れのある依頼者とやりとりすることになっただけ。作り手なので流通のシステムにはリアルになられへんけど、ただ多くの作家が受け取り側(鑑賞者)と直でコンタクトをとりたいと思っているにもかかわらず、それを発表する場が美術のシステムから抜け出せてなかったりする例も多いしね。美術館を飛び出そうとか屋外イベントなど企画されてはいるけれど、結局、作家自身のターゲットの絞り込みがまだ甘いのではと感じることも。いちがいには言えないんだけれど。
伊達さんにとっては、見てくれる人やその作品の持主となる人とダイレクトに関わることはすごく大事?
大事やね。例えば、社会全体に関わるようなでっかいテーマで作品を作っているような作家さんの立場の場合は公共性の高い表現手段がのぞましいのかもしれないけど。でも、僕の場合は個人的な思い(生活感)に絞り込んでかかわった方が、作品として魅力的なんじゃないかと思ってるんです。
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