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“プラネット”をとりまく人々 2

“PLANET+1 ”の富岡邦彦氏に初めてお会いしたのは今はなきコヤ“シネ・ヌーヴォ梅田”。

98年から99年にかけての冬(?)頃だったか
自分が何かのついでに遊びに来ていたか、大阪上映の宣伝の仕事で来ていたか
どちらかは忘れたが、その際に紹介していただいた。

当時ここの副支配人だった田井中氏(現・シネピピア)とはアングラな(?)趣味が合って東京‐大阪間でもよく映画にまつわる情報交換をしていた。
“プラネット”は近くにあったので、実はそれまでも何度かその場所まで連れて行ってもらったりしていたのだが、タイミング悪くいつも留守で、まだドアの中に足を踏み入れたことがなかったのだ。

最初話しかけても富岡さんは、すごくぶっきらぼうで正直印象悪〜ってずっと思ってまして…。実はのちに、これは“シャイ”な性格ゆえなんだと判明するのだが。

おびただしいフィルムの数々から独特の切り口でシネマテークをディレクションする。
東京でも観れない映画というのは、別に意識しているわけでもなく、ひとえに彼のこだわりからなのだ。シネマテークのチラシ、映画を観にきた方や会員に配布される会員通信や解説等の細かさはそれを大いに物語っている。

映画の知識は豊富=いわゆるシネフィルで、ちょっとでも暇をみつけては、新作も含め映画を観に行っている。大作も単館系/ミニシアター系も隔てなくどうやら監督やスタッフをポイントに観ているようだ。
本当に嬉しそうに映画話をする。
やはり無類の映画好きなのだ。

王道の映画をあまり知らない不勉強な自分にとってはまさに“生字引”的存在。
PLANET+1 も近くだと、時間が空いたらふらっと映画を観に行きたいのだが。

そんな富岡さんに今年の春から、もうひとつ新しい肩書きが加わった。
大阪ビジュアルアーツ専門学校講師/映像史担当で週に2日、教鞭をとっている。
まさに適役!これは、貴重でしょう〜授業を受けたいくらい。

彼もまた安井さんとはまた違った意味での永遠の“映画青年”。

[ 5/10 ]