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<花形能舞台>の人びと〜味方玄の場合〜

独立は何歳ですか?

味方「24歳の時に準職分(じゅんしょくぶん)をいただいて、披露したんは25の時です」

独立披露は『一人石橋(ひとりしゃっきょう)』でしたよね

味方「はい」

今は独立の時に『一人石橋』をするというのは、珍しいことではなくなってしまいましたけど、あの当時はかなりセンセーショナルやったなあ…

味方「最初は、九郎右衛門先生に(白獅子を)お願いしたんですけど、若い人と演るのは(体力的に)もう無理やからとおっしゃって…。でも、私は先生に入門して、先生に教わったんやから、先生とさせてもらいたいって」

九郎右衛門先生以外には考えられなかったと…なるほど、そういう想いの結果の『一人石橋』ですか…。でも、よくお許しが出ましたねえ

味方「『一人石橋』は、‘目が割れへん(=視点が分散されない)から難しいって言われるけど’っておっしゃって。ちょっと考えるっておっしゃって、で、1週間くらいしてお許しをいただきました」

あの『一人石橋』は…、私も拝見してましたが…、それを独立披露で演るということ自体にも驚きましたけど、‘こんなん、なんでもないもーん’って、軽々と舞ってる感じやったんが印象に残ってて。これ、いい意味で言うてるんですよ(笑)。独立披露なんて普通はもういっぱいいっぱいやのに、そうじゃないっていうか、落ち着いてて、自信に満ち溢れてて、でも、シャープで、若さの清々しい魅力があって、とにかく、初めて演るような感じじゃなかった…

味方「あの頃はねえ、ほんとに肉体的な稽古をしまくってたから、身体が(『石橋』に)慣れてたんだと思う。歌舞伎なら千秋楽の日みたいな。だから、動き出したら無意識に身体が動きよる(笑)」

どのくらい稽古しはったんですか?

味方「んー、もちろん、前場と後場通しでの稽古もするけど、今日は後場だけ5回舞おうと思ったら、5回舞う。若いから舞えるねん。」

5回全部、手を抜かずに思いっきり舞うわけでしょう?

味方「やってみるねん。どこまでボロボロになるかも知りたいわけ。書生の時分に初めて『船弁慶』をさせていただいた時は、1度に通しで2回稽古して、そしたら最後のほうはほんまにガタガタになるし、こういうのは稽古にもなんにもならへんと思た」

ほう。

味方「僕は、やっぱり、一番大事なんは、<気>を持続させることやと思うから。ピンと張り詰めた<気>をいかに持続させるか…ということ。ただ、テクニックなんかの稽古には、繰り返しやるというのも有効やと思て。せやし、『石橋』やったら後場だけ1度に5回やってみようっていうような稽古もしたんです」

なるほど

味方「『石橋』の時は、稽古用に面を道具屋で買うて来て、目の穴の上半分をビニールテープで塞いで。そうすると、僕は顔ちっちゃいからほとんど見えへん。その状態でガーッと動けるようになったら、次は全部塞ぐ」

へー!ほな、あの時の『石橋』は、見えんでも動けるようになってたんや!そら、自信も溢れ出すわ(笑)。でも、そのやり方は自分で工夫したんですか?そんな稽古した人なんて、見たことも聞いたこともないけど

味方「うん、自分で考えた。熱血時代(笑)。若かったんやね(笑)」

(笑)そうかぁ…あの頃、そんな稽古をしてはったんや

味方「『石橋』の時、先生が後シテの面を2種類出してくださって、1つは天下一友閑(ゆうかん)の獅子。もう1つは室町時代の面で、こっちのほうがええんにゃけれども、ほとんど(視界が)見えへん。そんなすごいの掛けてコケられへんやん(笑)。どっちもええ面やけど、でも、ええほう掛けたいし。」

やっぱりね(笑)。そら、それだけやってたら、自信も出るよねえ。自分がどこまで出来るか、把握しきってるわけやから

味方「なんにも怖ないねん。今やったら、‘お客さん入ってるやろか’とか‘あの人帰ったやろか’とか‘弁当来てるやろか’とか、そんなこと考えるけど、その時は全部ワーッと先にやったわけ。そしたら、なんにも怖くない」

え?でも、独立の時もそういう心配はあったでしょう?

味方「あの時は、招待制やったから。父の名前でしたけど、初めて玄人の会を無料にして、僕が全部番組も決めて先生に見ていただいて。1000枚以上切符が出て、もう切符がないですって(笑)。実際は900人ほど入りました」

そんなに入ってたんですか…ああ、そう言えば、ぎゅうぎゅうで立って見た記憶が…

味方「2月14日やったから(笑)、チョコレートの数、3ケタやで(笑)」

すばらしい(笑)。そのあと、<テアトル・ノウ>を始められたのはいつからですか?

味方「それから4年後の平成8年。最初は<座敷能(ざしきのう)>でした」

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