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<花形能舞台>の人びと〜味方玄の場合〜

なんで、<座敷能>から始めはったんですか?

味方「自信がなかったから」

へ?何に?

味方「集客に」

何に自信がないのかと思ったら(笑)

味方「そうそう、石淵さんに‘あの生意気な会やな、ふぅん’って言われた(笑)」

あれ、まだ根に持ってはるんですか(笑)。あれは、私が生意気やと思ったんじゃなくてですね…

味方「あ、ちゃう!‘クソ生意気な’やった(笑)」

あ、そんなん付けてましたか(笑)。せやから、周りから生意気やと思われるやろうなと思って…

味方「そんなん、誰からも言われてないよ(笑)」

誰がそんなこと面と向こうて言うんですか(笑)。いやいや、冗談やのうて、あれは正味、褒め言葉のつもりやったんやけどなあ(笑)。せやけど、会の名前が<テアトル・ノウ>ですよ?普通は、○○の会とか誰某の会とかでしょう?

味方「んー、僕は自分の名前を冠にするなどというのは僭越やと思うたから。それは今でもそう思てる」

で、なんで<テアトル>?

味方「その日の、ノウ・シアター…テントの劇場でもなんでもいいんだけど。だから、日にちも毎年この日とは決まってない。どこでやるかも規模も、何も決まってない。その日の座を組んで演るっていうのがやりたかったんです」

次回の<テアトル・ノウ>は何をなさるんですか?

味方「今年は10回目なので、12月に『道成寺』をさせていただこうと。それと、名人というのは後から贈られる称号やと思うんやけど、京都で後世、名人と言われるであろう方々に、僕の主宰する会にご出演いただいて、いつも僕を見てくれてはるお客さんに見てもらいたいんです」

<テアトル・ノウ>の観客層はわりと若い人が多いですもんね

味方「‘ほんまもんはどんなの?’とか、もっとその先にある芸を見てほしくて。九郎右衛門先生にはいつもご出演いただいてるんですけど、今度は茂山千作(しげやま・せんさく)先生にもご出演していただいて。せっかくやから、千作先生には、記念に『福の神』をしていただきます」

『道成寺』は2度目ですよね。披キの『道成寺』は、ほんまクソ生意気でしたもん(笑)

味方「そぉ〜?(笑)」

能楽の専門誌に書かれてましたよねえ。この時点でこれだけの『道成寺』を舞ったら「このままで行くと危険だ」みたいに…

味方「あれはペンネームで書かれてたし、こちらも招待したわけやないし、どなたが見て書いてくださったのかわからないんやけれども…」

ほぼ東京の舞台評しか載っていない中で、関西の弟子家で若手の、しかも披キの『道成寺』に言及していたことは、かなり異例な感じがしましたよ。…そう言えば、<テアトル・ノウ>の5回目の『楊貴妃(ようきひ)』を見たあと、私が‘面と装束が合うてへんかった’って言うたのをずっと根に持ってたんですって?(笑)

味方「うん(笑)。何がどう合うてへんのぉ?!って。僕、一ぺん注意されたことは、ずーっと忘れへんもん(笑)。いまだに謡のコンプレックスがあるのも…」

ええっ?!!謡にコンプレックスあるんですか?!

味方「うん。書生に入った時分に‘お前は声が細い、高い’って言われたら、ずーっと。今はもう言われないけど。僕は注意されたら、その次、それが克服できたと認められるまで全部憶えてるもん」

私はそれまで、味方玄という人は、思ったことを正直に言うて大丈夫な人や(笑)と思ってたんやけど、根に持ってるって人から聞いて(笑)、こりゃ失敗したかなーって(笑)

味方「いや、先輩や役者仲間が言うてくれはることも有難いけど、そうではない人が言うてくれはることは“生(なま)”の意見やん。僕はそういうのが有難いんです。前から見てて言うてもらわんと、絶対わかれへん自分のことってあるから」

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