Starting(始動)
やりたいことは見つかった。次は、2人が発見した体験をどうやって他の人達に伝えるか、ですね。
浜地 1993年に“車”と“音”の関係を発見してから、実際にどういうシステムでやっていくか、1年ぐらいかけて準備したんです。僕らが知っている発表のシステムは、ライブハウスで演奏するか、画廊を借りて展覧会として発表するか、その2つぐらいしか知らなかった。それでは、僕らのやりたいことは出来ない。
中瀬 最初は、それほどしっかりしたシステムじゃなかった。
浜地 [ガソリンミュージック&クルージング]の概要と僕らの電話番号を掲載したチラシを作って配布したり、情報誌に載せてもらったりして、電話があったらドライブする。そんなパターンが1年ぐらい続きました。
車は何でしたか?
中瀬 浜地が持っていたスズキのジムニー。1993年の末にトランペットスピーカーを買って積み込んで、1994年の1月12日から走り始めました。
浜地 初めはコースも決まっていなかったし、実際のドライブの内容もどんどん変わっていった。
中瀬 それは、ジムニーという“車”の特性もあったと思うんです。ミッション車なので、エンジン音の回転数があがったり、下がったりするところですごくいい音になってかえってくるんですよ。ある意味、かっちり決めなくてもそこそこ楽しめる。
役割分担は決まっていたのですか?
浜地 僕が運転して、中瀬がエフェクターを操作する。それは、最初にすんなりと決まりました。
どうして?
浜地 ドライブは、僕が運転していても他の車の流れや周囲の状況、車内のフィーリングでどんどん変わっていく。僕がすべてをコントロールしているわけじゃなくて、車に走らされているところもある。それがいいな、と思ったんです。
中瀬 僕は、曲が変わると風景がころっと変わって見えるように、エフェクターのつまみを回すだけで車に乗っている人達が受ける印象が変わるのがやりたかった。初めはエンジンの音をそれらしく聞かせていても、ドライブの最後の方にはだんだん崩れていって“JYJOOO”という音になってたり、試行錯誤していた時期でした。
ゲストはどんな人でした?
浜地 最初の1年は、知り合いがほとんどですね。1月に1回、1年で12回ぐらい。展開の方法が分からなかったんです。
中瀬 ジムニーからシトロエンXM-Xになった時に、ずいぶん変わって、システムも確立していったんです。
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