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drive away at〜(〜に精を出す)
ジムニーからシトロエンXM-Xになったのはいつでしょうか?
浜地 水戸芸術館で開催される『ジョン・ケージのローリーホーリーオーバーサーカス』(1995年)に出品が決まって、それで清水の舞台から飛び降りてしまいました。
中瀬 最初は50万円ぐらいの中古車を探していたんですが、カッコイイのがない。じゃあ、100万で、150万で…と少しずつ予算を上げていったのですが、僕達がいいなと思う車がなかった。その途中にシトロエンを見かけたのですが、とうてい僕らには手の届く値段じゃなかった。でも、探しているうちに「やっぱりあの車がいいいよな、自分達が一番いいと思う車で走るのが一番正直だよな」と思ったんです。最初の予算の5倍以上になってしまいましたが。

シトロエンの魅力はどんなところでしょうか?
浜地 僕たちは車はそんなに詳しくなくて、探しまわっているうちに偶然出会ったんです。ディーラーに「シトロエンは特殊な車で油圧でサスペンションが動いている…」と説明されても実はよく分かっていなかったのですが、とても魅力的に見えたんです。
中瀬 見た目がカッコイイ、乗り心地がいい、それから僕らが持っているバックボーン、つまり音楽や美術の好み、普段から喋っていることのイメージがそのままカタチになっている車だと思ったんです。

シトロエンになってからの[ガソリンミュージック&クルージング]は変わりましたか?
中瀬 まず、車そのものに備わっている“音”がかなり変わりました。オートマなのでエンジン音もなめらかなになったし。ジムニーは、中が鉄板なので高音だけがすごく響くんですよ。
浜地 ジムニーは、突き刺さるような“Kiiiiiinnnnn”という音が強かった。
中瀬 同時に、オーディオのセッティングも変えたんです。ジムニーの頃はプラスティック製のトランペットスピーカーだけだったのを、シトロエンにしてから今、使っているのと同じウーファ(低音だけを出すスピーカー)を入れたんです。
浜地 高音だけでなく、身体に響く低音も入ってきた。もうひとつの違いは、ジムニは、ギター音を“JYOOOO”という音にするディストーションというエフェクターだけでしたが、もっといろんな音色が出るように種類を増やしていったんです。
中瀬 たとえるなら、ジムニーはギターだけだったのが、シトロエンになってからドラムやベースも入ったようなもの。トータルでバランスがとれるようになった。

水戸芸術館は、いわばパブリックな場でのデビューになったんですね。
中瀬 僕らも、自分達は[ガソリンミュージック&クルージング]は最高だと思っていたけれど、まったく予備知識のない人がどう感じるか分からなかった。ところが美術館の中庭でデモンストレーションとして音を出すと、警備員のオジサンや子供達がうわーっと寄ってきて大喜びしてくれたんです。これはいいんじゃないか、とその時に確信が持てた。キュレーターの発案でその場でじゃんけんが始まり、勝った人が一緒にドライブしました。勝った人は「イエー!」って大喜びして乗り込んできて。

乗った人はどんな反応を?
中瀬 かなりよかった。笑いっぱなしの女性達もいたり、じーっと目を閉じたままの人もいたり。僕らもいろいろ新しい発見をして、以後の活動に生かしていきました。たとえば、ドライブ中にたまたまスイッチの切り替えを押してしまってポンと低音が消えたんです。それが空を飛んだような、すごく気持ちいい状態になったりして。
浜地 美術館のイベントだから昼間の町中を走っていたんです。で、けっこう渋滞にはまったりしたので、大阪に帰ってからは夜の高速道路を走ることにしたり。

水戸芸術館以後の活動は?
浜地 大阪で、電話を受けて動き始める、という活動は変わらずに続けていました。平行して、いろいろな展覧会やイベントに参加することが増えてきて、その記事が雑誌などに載るとけっこう反響がありましたね。

料金はどういうシステムだったんですか?
浜地 ジムニーの頃は、最初の4〜5人はその場でいくらかを払ってもらっていました。
中瀬 でも、それじゃあタクシーっぽく見られてしまうんです。「じゃあ、ここからここまで走って、帰りは家の近くまで送って」と言われることもある。それは密かにムカッとしていた。僕らには僕らの美学みたいなものがあって、黒いシトロエンで、ブラック・レザーの服に身を包んで、会話はほとんどなく…といった美しさを求めていた。お金をもらって「まいど!」というのは僕らがやると美しくない。
浜地 お金が介在すると、また別の関係が出来てしまう。僕らが最初に狙っていた“2人対2人”という対等な関係が崩れると思うんです。

でも、まったくの無償だと大変ですよね。
浜地 無償であることに価値があるとは思っていなくて、タクシーのように見られないシステム、契約が出来ればいいと思うのですが。

ログズギャラリーとゲストを結びつけるエージェンシーがいるといいかも。
中瀬 いいですね。謎の美女から指令が来たりすると。

(笑)、ところで1996年に私も[ガソリンミュージック&クルージング]を体験しましたが、その頃はかなりのペースでドライブしていたようですね。
中瀬 一番ハードな時は、2日に1回ドライブしてました。僕たちにしてみたら、スパルタ教育を受けているようなもの。音色の組み合わせなどがどんどん変わっていったんです。
浜地 水戸芸術館の時は、出発してから帰ってくるまでずっと“音”がなりっぱなしだったのですが、大阪では帰り道は“音”をやめて普通にドライブしたり。乗った人から「ドライブ中に窓を開けて生の音が聞こえてくるのがいいですね」という感想から僕らもそう思っていたことを再認識して、演出を取り込んだり。それは、“2人対2人”という関係だから影響し合うのだと思うのです。

ドライブ中にゲストの顔は見えるのですか?
中瀬 僕の席からは見えないのですが、雰囲気は分かります。
浜地 僕は、見えます。

ゲストの反応に合わせていくことは?
中瀬 それはないですね。僕からは見えないし、基本的に風景や道路状況で“音”を変えていくので。でも、待ち合わせの時の第一印象が悪いといぢわるをしたくなる時もあります。音量をむちゃくちゃ大きくしたり。
浜地 運転でも、さーっと高速をのぼって、さっさと降りたり。
中瀬 運転でも怒りを表現できるから。浜地の運転によって“音”を変えていくことはあります。

ドライブ中の、2人の意思の伝達は?
中瀬 浜地も車の流れにのって運転するだけでなく、やはり彼自身の意識が入る部分もある。そのタイミングを狙って、あらかじめ僕が“音”の準備しておいたりすることもあります。たとえば、車線変更しそうな時にディレイ(音が繰り返し出る)をかけておいて、ウインカー音をエコーさせたり。
浜地 高速道路のように信号もカーブもそれほどない道を長く走っていると、ずっと同じ調子の低い音が入りっぱなしになるんです。で、そろそろやな、というタイミングでアクセルを踏んだり上げたりするとやわらか〜い音の変化が出る。

それは合図を出すのではなく、お互いに無言でタイミングを読み合っているのですか?
中瀬 そう。合わせる時もあるし、裏をかくこともある。
浜地 終わった後で話をして、それを次に生かしていったり。
中瀬 また、僕らがイマイチだったと思っていてもゲストから「最高でした!」と言われたりするんです。人によって、好きな音はいろいろだなあ、と気づかされたりしましたね。

Title:Gasoline Music & Cruising
Year: 1995
写真: 柳生健吾
 
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