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昼の顔と夜の顔

学校以外の仕事も少しずつ増えていくわけですが、両立は大変だったのではないでしょうか?

そうですね…朝から夕方まで働いて、その後はまた別の仕事に出掛けるというような日々ですね。仕事が終わってから朝までミーティングがあったり、クラブイベントがあったりして、そのまま出勤するということもたびたびありました。またC.A.P.の活動もはじまって、当初はアーティストの人がほとんどだった(今は事務局の人がちゃんといるんだけど)ので事務的なことやコーディネートの仕事がまわってきたり、イベントがあったりすると、やはり準備に朝までかかりますよね。当時は本業の方では大学院を設立する準備をしていたので、大学で夜中まで仕事が終わらない日もあったりと、ハードな生活を送ってました。こんなふうに無茶な生活を続けていて一度体をこわして入院することになるんですね。それまでは体力があることが唯一の得手だったと思っていたのに、自分の体はもろいものなんだなあと感じて。このままの生活でいいのかどうか悩んだんです。やはり、朝まで別の仕事をして大学に出勤しても迷惑をかけるし、他の仕事も同時に中途半端になってしまいますしね。徐々にもっと積極的に外部の仕事をしてみようという気持ちにもなっていたし。マネージメント的なことをしてくれたら、と言ってくれる人も何人かいたので、求めてくれる人がいるところに自分の身を投じてみようと、大学を辞めることにしました。大学を出てからずっとお給料をもらっていたので、決意をした時には経済的なこともかなり楽観的に考えてたんですけど…

ところで原さんはずっと同じ部署にいたんですか?

部署は変わっていくんだけど、その度に、抱えている仕事をそこへ持っていくということをしてました。それも小さい組織だったので許されたことだったと思います。
辞める時に、「好きなことだけしかやらへんかったなあって」て言われましたけど(笑)。

辞める前から美術手帖の記事を書いたり外の仕事もするようになっていたんですが、正式にフリーランスになってからの初めての仕事は南芦屋浜の震災復興住宅におけるコミュニティ&アート計画というプロジェクトでした。

「Time一光と時」
IDEAL COPY


「あしたも あしたも あしたも あいたい。」
「うわ一ん。」
「いちばん好きな人が、いちばん気持ちいいし。」
イチハラヒロコ


「曖昧な空間 wall-floor-wall-ceiling」 
藤本由紀夫


参照:
http://www.asahi-net.or.jp/~ej4t-hsmt/skb/home/contents/art/index.html
http://www.hi-ho.ne.jp/gallery/art/11/01.html
http://www.hi-ho.ne.jp/gallery/art/29/01.html

住棟間の屋外スペースや各棟の玄関口にあたるエントランス・ピロティの空間そのものがアート作品化するというもので、11人のアーティストが計画段階から関わってプロジェクトを進めていく全体のコーディネートをしました。今までいっしょに仕事をしたことがないタイプのアーティストとか、建築家やゼネコンの人とかそれぞれ思考や言語の違う人間が集まって進めていたので、美術の展覧会やプロジェクトのように思うようにいかないことがあったり、葛藤もあったりもしたけれど、普段あまり接する機会のないジャンルの人達と仕事が出来たというのは、今から思えば貴重な体験だったと思ってます。

以前に、人から“糊”みたいなものだと言ってもらったことがあるんですけど。一人メディウムですね。それが複数になるとメディアになる!
情報を伝えていくための必要なツールが雑誌、新聞、インターネットなどで執筆することであったり、軸を持ったエピソードだったり、展覧会やイベントをプロデュースすることであったり、ネットワークを繋げていくというのも重要なことだと考えてます。

インディペンデントだからこそ出来ることでしょうね。

まあ、経済的には厳しいけれど、一人でいるから小回りがきくし、自分の蓄積やニュートラルな立場を最大限に活用出来ればと思います。大掛かりなプロジェクトになると予算も大きくなるので一人でするのは難しいんだけど、一人では出来ないことでも(大勢集まれば何かが出来るというわけでもないんだけれど)、そのつど必要な人や組織などとつながっていって、実現させていけばいいわけで。
 ちょうど今、東京に新しくオープンする森美術館の二つ目の展覧会『六本木クロッシング』(2004年2月予定)では、日本人のアーティストを紹介する展覧会のノミネーターとして出品作家の選考等の仕事もしています。ファインアートだけじゃなくて、ファッションや建築などのさまざまなジャンルに通じたノミネーター(6人)がいて、それぞれに与えられているプレゼンの時間も決められているんですね。それで複数のアーティストを紹介するのに単純に割ると一人のアーティストを紹介するのに6分しかなくて、あまり知られていないアーティストだと、出来るだけたくさん資料を見せたいと思って、ビデオとか見せてるとすぐに時間が経ってしまって…美術館の学芸員の人達は次の会議があったりするので、「まいて下さい!」ってことになってしまったり(笑)。 こういう大きな美術館での展覧会では、自分が日常的に蓄積している情報を私一人で発信していくのとはまた違って、もっと有意義なものとして生かせると思うし。ここで一つの達成感や次への活力みたいなものを得れます。

4月2日にremo(NPO記録と表現とメディアのための組織)で行われたSkartのレクチャーも原さんがいなかったら実現してませんもんね。

この時は、急にベオグラードから日本(金沢)に来ることが分って、それもぎりぎりまでビザがおりるかどうか分らない状況だったけれども、関西空港から帰国することになっているから大阪に来るということで、そんな機会はめったにないだろうし、じゃあ彼らの活動について話を聞く場をつくろうと、一週間前だったんですけど、準備をはじめたんです。

急に決まって、メーリングリストでインフォメーションしただけだったのに、たくさんの人が来てくれたし、喜んでもらえましたよね。

これなんかも、私が彼らの話を聞きたいというのがまずあって、でも一人で聞くのはもったいないし、多くの人に聞いてもらうために、一番いい方法で実現出来るようにはどうしたらいいかと考えて、それでremoにつないでみようというような流れで、別に自分が主催者にならなくても、また仕事(収入になるという意味での)ではないんだけど、こんなふうに人と人や人と作品、情報などいろんなものをいいカタチで繋いでいって、この日のようにみんなが喜んでくれたら幸せな気分になりますね。

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