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前からいっぺん聞きたかったんですけど、吉朝さんて、今日の独演会みたいな一枚看板の時と、先輩クラスの人と並んでるような会の時と、同じ演目でもサラッと演るか、目いっぱい演るか、変えてはると思うんですけど

吉朝「うん。そら、意識してますがな」

ひょっとしたら、お客さんの中には‘今日の吉朝さんはえらいアッサリ演らはったな’ってガッカリする人があるかもしれないけど、私は、そこが吉朝さんのすごいとこやと思て。その日全体の流れの中で、自分のポジションを考えてはるんやなぁ、と。

味方「能でいうと、<ツレ>というのは若い人がやることが多いけど、ほんまに力のある人が<ツレ>をやったら、舞台全体の出来が全然ちがうし。でも、自分の力を抑えて他を活かすなんていうことは、かなりな技量と自信がないと出来ないでしょう?」

ギャグみたいなんをほとんど入れてないし、サラリッと演ってはる分、根っこのとこの力がようわかるねん

味方「<間(ま)>とか、息遣いみたいなもんで勝負せんとあきませんもんね」

吉朝「そういうとこ、見てくれてはるもんなんやなぁ…」

 

 能は一人ではできない。
 <シテ>だけではなく、<ツレ>や<ワキ>、<アイ>といった<立ち方>、地謡、囃子、後見、すべてのアンサンブルだ。
 上方の場合はお囃子の協力が必要な噺があるとは言え、落語は、基本的に“ピン(=一人)”の芸だから、他を立ててサラリと演るのは、なかなか出来ることではないと思う。

 

味方「あの、噺の中で、ポトッと今流行りの言葉を入れはるとこあるでしょ。でも、ものすごく自然なんですよね。違和感がない。それでいて、お客さんにも、今の言葉を入れてはるっていうのがわかって、それがまた面白い」

今日の独演会の演目(『仔猫』『元犬』『蛇含草』)は、私的には、吉朝さんの一番の特徴が出にくい演目やったと思うんです。私ね、吉朝さんのネタで好きなん、あの、ほれ、夕涼みに行って、橋の上から屋形舟をひやかすっていう…

吉朝「『遊山舟(ゆさんぶね)』や」

夏の、ちょっと日が翳ってきた頃に、夕涼みに出かけて、歩いてると、風が吹いてきて、ほんで、橋の上から見てるっていう距離感とかが、ものすごう、よう出てる。風景も目に浮かぶけど、空気感っていうか、温度とか匂いまで伝わってくるねんなぁ…。ああいう噺って、吉朝さんの特徴が炸裂してると思うんですよ。あれ、好きや〜

吉朝「あの噺は米之助師匠から教わったんやけどね、師匠は、‘蒸し暑い日、大川まで出て来て、川風にあたった時“はぁーっ涼しい!”と、この感じが出たらええねん。それだけや’と言うてはった」

 

 “はぁーっ涼しい”って感じ、出てる出てる。
 もうそこでハートをガッチリ掴まれてしまうんである。
 今日の演目は特徴が出にくい、とは言ったが、『仔猫』では、厠から女中の<おなべ>の姿を見た暗がりの様子、『元犬』では、犬から人間になった人物そのものを演じるのではなく、その様子を見ている人の目で描写する実在感、『蛇含草』では、餅の美味しそうなこと、気分悪そうなこと…などなど、その情景が、<桂吉朝>の身体から立ち昇るように広がって見える。
 なによりも、この人は、いいものをたくさんたくさん知っているんだろうなぁと思う。
 小さな川のせせらぎや、風や雨の匂い、月の光や夜の静けさ…そういうものを身体で感じることを大切にしている人なのだろうと…。
 そして、自分の見た風景や感じたものを的確に観客に伝えうる技術を鍛え上げた。
 一昨年、文楽劇場の第1回<米朝・吉朝ふたり会>の時、大ネタ『百年目』の中で<桂吉朝>が見せてくれた、川端に咲き誇る満開の桜が忘れられない。
 きらきらと春の光を弾いて、ゆったりと流れる川面、船から眺める薄紅に霞んだ桜の、夢のような美しさ…。
 そこでもやっぱり心地好い風が吹いていた。
 「せやけど、鮎ってなんぼ食べても飽きひんなぁ。大将〜、お酒、もう一杯おかわり〜」

 
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