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今回の特集上映は、吉田監督のこれまでの歩み、全体像に接する絶好の機会だと思います。そこで、見所というと変な話なんですが、観客の皆さんに、とくに見ていただきたところがあれば、お聞かせください。

映画監督になろうとは、私自身考えもしなかったことです。
大学を出るころ、戦後間もない時代でしたから、家庭のために働く必要があったのですが、就職難のために、仕事が見つからない。ようやく偶然与えられたのが、映画という仕事でした。一生の仕事として、映画が私にふさわしいものであったのかどうか、ずっと迷いつづけてきましたが、この年齢になっては、映画監督として死ぬより仕方がありません。もう、70歳すぎていますから(笑)。
ただ死ぬときには、この映画監督という仕事、職業が、私にとって偶然ではなく、必然だった。自分の一生として、これでよかったと思えるようになって、死にたい。
普通は映画監督になる人たちは、初めに自分の作りたい理想の映画のために、あるいは映画監督という仕事が好きで、監督になるのでしょうが、私の場合は逆だったのです。死ぬときに、ようやく映画が愛せるようになって、死にたい。その意味では、映画は私には永遠の謎なのです。たえず私から映画が逃げてゆく、それを追いつづけるしかない。私は一本作るたびに、映画とは何だったのか、作るたびに映画そのものから、映画を学んでいるようなものです。
たとえば、Aという監督には、その作品に独自のテーマやスタイルがある。それを監督の個性だとして、Aという監督の映画を好きな人たちが見にゆくのが、監督と観客との関係でしょう。それが私の場合は、一作ごとにテーマやスタイルが変わってゆく。おそらく蓮實さんは、そのことを指摘するために、「変貌の倫理」と名づけられたのでしょう。この「変貌」とは、私が映画監督として「映画を作る」のではなく、「映画とは何か」ということを迷いつつ、問いたずねてきたことの表われなのかもしれません。観客の方たちが今回の回顧上映を通して、そうした監督としての私のありようを、どのように受け止めてくださるのか、不安な気持ちでいます。

素晴らしいお話ですね。いまの若い監督たちは、当たり前のように映像世代として育って、そうした根元的な疑問などないような気がします。それに対して、吉田監督は巨匠でありながら、失礼かもしれませんが、実に謙虚で感動しました。

私は、いまの若い映画監督たちの世代を、評価しています。それというのも、私がデビューしたころは、映画企業が製作、配給を独占していた時代です。そして若い世代が抱かざるを得なかった矛盾は、そうした映画企業のあり方にあったのですから、それを批判し、抵抗しながら映画を作ればよかった。
ところが、そうした大企業としての映画が破綻してからは、映画を作るシステムがさまざまに多様化し、批判すべき対象を明確に捉えることができないのが現状でしょう。テレビのキー局が、高額な映画を製作する。バブル経済のころは、映画と関係のない企業までが出資し、いまから考えると信じられないような映画を作ったりしました。かつてのように映画界が一枚岩ではありませんから、若い監督たちが自分の企画を実現するチャンスはあるのでしょうが、それを持続的に続けてゆくことは難しい。
私が独立したころは、メディアがそれを支持しようとする動きがありましたが、いまの若い監督たちは独立しているのが当然です。一作ごとに資金を集める方法も異なれば、配給のあり方もちがう。映画が多様化し、ファジーな状態になっていますから、そうした状況で映画作家であることは、私の時代よりはるかに困難です。「よくやっている」と、支援の言葉を送りたくなります。

ただ、おそらく日本が平和だからでしょうが、観客の共感を呼ぶような大きなテーマが見当たらない。ベストセラーの小説や有名タレントが出演する映画によって話題を呼ぶしかない。そう思われがちですが、小さなテーマであっても、じゅうぶん優れた作品ができるはずです。
小津さんの映画が、いまもなお評価される理由は、そこにあるのです。小津さんはあの過酷な戦争を経験しながら、映画のなかで戦争について語ったことはなかった。もし語っているとしても、『風の中の牝鶏』ぐらいです。小津さんは映画で大きなテーマを描くことを極力避けた人です。。小さなテーマ、それがささやかな家族の物語であっても、その時代の社会や国家がおのずから映し出されるようにしたのです。波乱万丈の大きな物語ではなく、むしろ小さなエピソードを積み重ねつつ、それを繰り返しながら、少しずつエピソードがずれてゆき、エンドマークが映し出されたときには、人生のすべてが語られている。こうした発想は、いまの若い世代にもよく理解されるはずです。声高な映画より、声を潜めて語る映画、それがあの戦争のさなかにあって、小津さんが平和を願っていたことの、強い証しなのです。

この前の小津シンポジュウムのとき、日本から出席した監督たちが、欧米の評論家から逆に、「テーマについて語らないことが、驚きだ」と言われた。実際、日本の作家の側からすると、そういうテーマを語れる時代でもないということでしょうか?

それは私の世代の日本映画を見てきたから、「テーマについて語らない」という発言があったのでしょうが、映画監督はそれぞれが生きた時代と、無縁であることはできません。いまの40代以降の監督は、8mmで自主映画を作った経験をもとに、監督になるケースが多い。撮影所育ちではないわけですから、既成の映画監督の演出を直接見てはいない。その意味では、まったく自由です。映画を見ることと平行して、非常に早い時期から8mm映画を作っている。テーマについて考える前に、自分の眼や手が、おのずから映画を作ってしまっている。
私の世代ですと、矛盾した現実を前にして、何故そうなのかと考えざるを得ない。あるいは自分と時代との関係を考える。それが映画のテーマとして追求され、シナリオとして書かれてゆくのですが、8mm世代になると、まずシナリオを書く前に、8mmカメラを回している。そして映っているものから、テーマを発見しようという感覚なのでしょう。もっともテーマがなくても、映画は成り立つものです。

ドキュメンタリーに近づいてゆくんでしょうか?


そうともいえますね。考える前に、行動してしまうというか、カメラを回してから、初めて考えるのですから、私の時代とは転倒している。あのころは映画のカメラは、映画企業が独占しているようなものでしたから、個人で映画を撮るとは不可能と思われていました。いまは撮られてしまった映像を見ながら、初めて考えるのですから、ドキュメンタリーに近いといえるでしょう。
以前は映画を作ることは、きわめて特殊なことであって、見ることが主体でした。それが良い映画だと思えば、もう一度見るしかない。そして新しい発見をすると同時に、また新たな謎が立ちはだかってくる。そのために、さらに同じ映画を見る羽目になる。一生、その映画の意味を未知のものとして抱えて生きてゆく。あれは何だろうと思いながら、死ぬまでその意味が解らない。こうした永遠に完結しない作品、それが映画を見ることの最高の歓びです。

『秋津温泉』や『水で書かれた物語』などを観ても、あの最後をどう受け止めたら良いのか、と思いました。映画のなかでは完結していない、あとは観る者に託されている、というか。たとえば『秋津温泉』の彼女のあの生き方は、いったい何だろうか、って。そういうことを監督の作品を観て、感じていたと思うんです。

小津さんの生誕100年のシンポジュウムでも、小津さんの映画を見て、8mmのカメラで同じようなローポジションで撮ってみて、その映像を見ながら、これは何だろうと考えたという発言がありました。私たちの場合は、映画のスクリーンは遠い彼方のものでしたから、映し出されるロー・ポジションの意味だとか、なぜ人物を正面から撮るのか、そうした疑問は想像力によって解決するよりなかった。それがいまは、自分で映像を撮ってみて、何だろうと考えるわけですから、ただちに答えが見出せるのかもしれませんね。

そういう作り方になっている。それは結果的には、生活のディテールに関心がいってしまいますよね。


現在もかぎりなく矛盾に満ちているはずですが、それが日常生活のなかで見えにくくなっているのは確かです。極端な例をあげるようですが、いま憲法を改正すべきだという論議がなされています。しかし戦後新しい憲法が制定されたとき、反対する人はいなかった。それは旧帝国憲法より、はるかに人間の自由を保障し、平和を願う憲法であったからです。それがいまの憲法改正論議は、アメリカによって強制されたものだからだとか、自衛権や国際貢献に矛盾があるとして、憲法の改正が問われている。それはかつてのような大きなテーマとしての憲法ではなく、小さなテーマとしての憲法論議ともいえるでしょう。憲法は人間が作り出したものですから、完全なものではないにしても、それが言葉で書かれている以上、それを解釈しながら、生かしてゆけるかどうか、それは私たちの心の問題です。そしていま、憲法改正を小さなテーマとして、改正論議されるなかで、戦後最大のテーマが矮小化されてゆくことに、私も強く懸念する一人です。だからといって、大きなテーマが語られる時代が良いといっているのではありません。それは不幸な時代を意味しており、かつてのような激しい時代変革は、二度と起こしてはならないからです。そして大きなテーマから開放された現在、小さなテーマとしての映画をどのように追求するのか。日常のデテールに眼を凝らすことから始まった、8mmカメラの世代には、それが可能なはずです。



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